現代社会の理論

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現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

さてこの本、見て分かる通り、96年に書かれたものです。が、これまでの大量消費の時代の反省と、情報化社会の到来を予見したかなり先進的な本です。 まぁ今となっては古い内容なのですが、現代においてもあてはまるそれなりに普遍性を持った内容なので、ここで紹介します。

〜1990年代

まず、これまで(〜1990年代)の経済のモデルを振り返って。

消費社会の繁栄は、戦後において戦争特需に依存しない成長モデルとして成長してきた。松下幸之助は、これを『平和・幸福を通しての繁栄』と呼んだ。当時からしたらなんと画期的なモデルに見えたことだろう。争わなくて済むのだから。

世の中にモノが出回り、モノが足りる時代になるとモード(流行)が生まれた。 これは自己否定(過去の自己の否定)を通して新しいものを世の中に売り出し成長していくモデル。 例として、自動車業界において当初はフォードが圧倒的で、世の中に自動車が普及した。するとただ機能としての自動車以外の要素がほしくなった。 そこにGMがカラフルな車種を揃えて台頭し、フォードは衰退した。その後GMは定期的に様相を変えて売り出していった。

ファッション業界は特にその移り変わりが早い。去年の流行はもう古い、と自己否定して新しい流行(モード)を売っていく。 必要を根拠としないモノは美しく・魅惑的なければならない。 数々の広告とともに、消費者の需要を喚起していく、無限に湧き出る供給のために。消費のために。

需要の有限性、供給の無限性を、自己創出・自己否定で乗り越えてきた。 モノが動けばお金が流れる、するとGNPは上がっていく(見かけ上ではあるが)。すると収入が増え、さらにモノを購入するようになる。

沈黙の春

農薬は、もはや必要以上に、それを消費することを目的として巻かれていた。 農薬は害虫だけでなく天敵や鳥なども傷めつける、すると翌年にはまた害虫が現れる。自然に任せるのと違い、無限に先に進まねばならない。 消費のための消費は無限に続いていく。見かけのGNPはどんどん増える。

日本における水俣病などの公害も同じ。当時の池田政権の『所得倍増計画』のもと、被害の声はかき消され経済の発展が優先された。 フロンガスも当時安全とされていた。が、フタを開けてみると強烈な紫外線で南極付近にオゾンホールが空き、現地の生物は苦しんでいる。

時の政治は、内の発展のために鳥や公害の被害者を自分たちの外に追いやった。

(感想:この辺り、佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』のウチソトの概念と酷似しています。 サンデル教授の本でも、自動車の制限速度から換算すると人の命は200万くらいになる、とされており、現代でもウチの発展のためのソトの差別化は起きています。 車の例では、自分(家族)の200万相当の利便性のために人の命をないがしろにする行為かもしれません。 また原発も似たようなモノかもしれない。都心の、東電の発展のために東北はソトに追いやられたと言えるのかも。。。)

大量生産→大量消費

このような構造はあくまで内にのみ見られるものです。本来は

(大量採取)→大量生産→大量消費→(大量廃棄)

この()の部分は外から調達しています。が、当然モノ(資源)は有限であるし、廃棄先は汚染されていく。これまでは自国の発展に注力するあまり、外部にそのツケを回して放置してきました。間に中間業者などを挟んで、不可視な構造を作って、罪悪感を分散してまで。

この仕組みのなかでは、内が栄えれば外は貧しくなります。貧富の差をそこに見出す。外を差別する、支配する。 貧困は金銭を持たないことでなく、金銭を必要とする仕組みの中で金銭を持たないこと。先進国が資本主義を持ち込んだから貧困とされてしまった。自分たちが育てた食物すら安値で買い取られ、わずかなお金でものを買わなければいけない。飢えは治安の悪化や教育の低下を招き、さらに落ちていく。

これは何も国外に限ったことではない。国内でも同様に外は存在する。当然資本主義の世の中で、土地は高騰し、公害も起きる。その対象者は外の人とされた。

これからの世の中

それらを踏まえてこれからの世の中

大きく2つ。

有限性を考慮した繁栄

消費のために需要があるんじゃない。逆だ。需要を満たす分の供給があれば十分だ。とする考え方。

無限なコンテンツの繁栄

情報の伝達による繁栄。ハード(モノ)に依存するから有限性を含んでしまう。ソフトならば複製・輸送にモノは(一般には)介在しない。そのため無限の拡張性がある。 コンテンツとして。効率的なシステムの設計情報として。情報は人々に価値をもたらす。

内と外を区別して搾取するのではなく、自立共生的に生きる。ソフトを広く普及させ、有限な資源を有効に使う。

(感想:これもまさに『レイヤー化する世界』の描く構造そのままです。当時PCもあまり普及していなく、Googleやニコ動のない時代にここまでの構想ができるのは天才という他ありません。これからの世の中、単純な経済成長だけ追っても仕方ありません。これまでの消費社会の反省を活かして、真に(グローバルな)社会が良くなるように、その一端を担えるようになりたいですね)

追記

震災の二年後の3.11に公開された曲です。こんだけドラスティックに直接的にじゃないけど、これまで外が受けてきた差別も似たようなものかと。

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