キュレーション2:コンテンツ産業(消費者)

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アキハバラは日本のコンテンツ産業の中心地とも言えます。 かつてアキハバラが栄えた理由として、消費者の見る目があった、ということが挙げられます。ここにあらゆるグッズや情報が集まるという意味で。ここで認められるコンテンツは全国で通用する、といったお墨付きがつくという意味で。それも最近は翳りがでてきましたが。

ネットが一般にも普及して行く中で、アキハバラでなくてもネット民の作品へのチェックが代行されているから、その独自性も薄れてきていると言った形です。踊ってみた、なんかもわざわざアキハバラにいかなくてもネットで交流が出来る時代になったことも挙げられるかもしれません。

また、良いコンテンツの要素として『何時間でも語れる』というものもあります。これもネットで代行ができます。

ネットにより、キャラがプラットフォーム化している、という話もあります。初音ミクや東方なんかが代表例ですが、かつては一消費者に過ぎなかったのが、自分でコンテンツを作り出すことができる。良いコンテンツは瞬く間に広まって行く。(この二次創作ができることが、初音ミクの最大の魅力です。実に良くできた仕組みです。後日その仕組を詳しく書きたいと思います。)

さて、ここで考えることは、良いコンテンツとはなんだろう?ということです。 単純に実力があること?じゃあ実力はどうやって決まるの?

ここでキュレーションというキーワードが登場します。

先ほど少し触れましたが、何時間でも語り合えること、が良いコンテンツかもしれませんし、結果論ですが、アキハバラで認められることが良いコンテンツかもしれません。しかし、いずれにしろそのためには、一部の人からキュレーションされる必要があります。

もちろん広まるためにコンテンツ自体に『面白い』と思わせることは必要ですが、面白さの要素には、先の目の肥えた人が認めた、知っている人が多い。といったことが多分に関係します。娯楽においては、生活必需品のように、絶対的な尺度(栄養・強度・数量)がないため、全ての判断は主観に基づきます。そしてそれは外的要因(周りの評判)に大きく影響されます。 初音ミクも、二次創作を自由にさせていなかったらここまで流行らなかったことはほぼ断言出来ます。自由にすることで人々が交流するきっかけを生み出しているからです。

逆説的ですが、 名画や名曲は、個人の中で作られるのではなく、権威のある人に認められる、みんなが知っていることで名画・名曲たりえます。

この一つの例として最近のゲームがあります。近年、プレステやwiiよりもスマホゲームが人気なことから、スマホゲームのほうが良いコンテンツ、ということになります。しかし、ゲームとしての作りこみやクオリティは固定ゲーム機の方が上だと多くの人は思ってます。ここから、人は数値的な面白さや絶対的な尺度を求めているわけではなく、娯楽のための道具として、文脈や繋がりを求めているとの推測ができます。 個人的にですが、エヴァやまどマギも、コンテンツ自体の面白さではなく、一種の社会的な風潮の中で面白いと感じてしまっている人が多いのでは?と思います。

つまり、良いコンテンツとは、作品それ自体ができた時点で決まるのではなく、それの取り上げ方、キュレーションの仕方次第で変わっていくものだと言えます。(しつこいですが、初音ミクはただの製品としてのVocaloidだけでなく、ネット上での交流のツールとして役立っているところまでがコンテンツと言えます。)

これは何もオタク文化に限ったことだけではありません。次回はアート(創作者)の観点から書いていきます。

オマケ このブログだって、テレビに取り上げられたら、同じ内容でもみんなの見る目も変わるでしょうね^^;

<参考文献> ・日本2.0 株式会社ゲンロン アキハバラ3000:ハイパーリアル(志倉千代丸+福嶋麻衣子+東浩紀) 芸 術 家 の 使 命 と 覚 悟(村上隆)

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