ハチ公から考える日本の美徳

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昨日の続きです。

日本人の価値観を見つめ直してもらえればいいなと思います。

今さら、『日本人たるものかくあるべし』なんて偉そうなこと言うつもりはなくて、 いくつか例を挙げるので、改めて自分の価値観と照らし合わせてもらえればと思ってます。

日本にも、資本主義の価値観が浸透してきました。 特に、戦後の高度経済成長期は、その価値観のおかげで、 『Japan Miracle』とも呼ばれるほどの急成長を成し遂げました。

でも、そもそも日本に資本主義が適しているのかは疑問です。 日本は古くから、自然と共存し、互いに尊重し合う生き方をしていました。 八百万の神なんて考え方も海外にはないもので、 自分の周りの万物全てに敬意を持っていました。

短歌・俳句や、日本画などを見ても、わびさびの世界というか、 見えないものを尊ぶというか、海外の論理的な即物的な考えとは だいぶ異なります。

海外の絵は、物質の質感や、立体感に重点を置いています。 一方日本画は、平面的で、濃淡が多く使い分けられ、空白も多いです。 一見へたくそに見えますが、想像を形にするのではなくて、 平面・空白を用いることで、あえて具体化をやめているのではないかと 最近は思います。

日本の文化は、言葉や絵で具現化できないものです。 具現化してしまうと、そこで説明がついてしまうからです。 自然や他者への畏怖・崇拝が消失してしまうからです。

ちょっと話が逸れました。 言いたいことは、現代人は、資本主義的な考え方に傾倒し、 昔の人々の価値観を忘れてきてると思います。 ただ、心のどこかで、文化として今も根付いているはずです。

仕事にしても、新卒一括採用とか、年功序列とか、 今の資本主義からしたら明らかに非効率的な仕組みですが、 これも社会のコミュニティとしての役割が残ってると思います。

大人になったら、みんな周りに恩返しする。 社会もそれを後押しする。 年上には誰にでも敬意を払う。 高度経済成長期に日本全体で成長するには、 こうした社会の一員としてのモラルが必要だったと思います。

最近の政治の話にしても、論理的な思考より、 感情論が多くなっているのは、そういう文化だからだと思うんです。 そもそも論理がニガテなんじゃないかと。

ピンと来ない人のために、一つ例をあげます。

『忠犬ハチ公』ってお話がありますよね。 (実はこのブログのドメインに使ってたり。。。)

あれが日本では美徳とされていますが、なぜだか考えたことありますか?

資本主義的に考えると、待ってても実際に会えなかったら、 ただのムダということになります。 それよりも、まず自分が生き延びることのほうが、 主人に再会する確率は高くなりますからね。

あれは実は、『待ち続けた』という行為自体に目的があった。 とする意見があります。(アニメ:『京騒戯画』4話より^^;)

損得を抜きにして、あそこまで忠義を体現したからこそ、 あの話は日本人の心を動かす美談になったということです。

別に、資本主義・個人主義を心から思えてる人はいいです。 ただ、なんか周りが言ってるから自分も、という人は多いんじゃないかと思います。

昨日の歴史の件ですが、実際はどうだったのかはわかりませんが、 事実として負けて支配されたってことよりも、

『僕らの先祖はカッコ良かった!』って思いたいじゃないですか。 昔の日本人の美徳を信じたいじゃないですか。

資本主義が大事なのは分かりますが、 こういう損得でない美徳を持った人が報われる世の中にしたいな、と思ってます。

オマケ

「おつりが多かった。得した。」 こういうの実は損してるって 永井千佳の音楽ブログ http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2012/12/post-ee7d.html

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