音楽と科学技術

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音楽の講義のレポートが思いのほかうまく書けたのでそのまんま公開します♪ いつもと違って文体が堅くて読みづらいんですが、大学のレポートだし、ちょっとくらい気取りたかったのでそんなカンジでお送りします。

科学の進歩に伴い、あらゆる仕組みがデジタル化され再構成されてきた。それは芸術・音楽においても例外ではない。 そして科学は、音楽そのものが波の集合であることを解き明かし、またそれを聴くわれわれ人間の聴覚・感覚についても解き明かしてきた。また、デバイスの発展により2つの大きな革命が起きたと私は思っている。一つ目は音楽を録音し、好きな時に再生できること、これにより、音楽はその瞬間のみのものではなくなった。これにより、音楽を聴く人が劇的に増加した。二つ目が、機械上で音を作成し、曲を奏でられること。これにより、音楽を奏でる人が爆発的に増えた。

これらの急激な変化の中で、私は、『良い音・良い音楽とは何か?』を再考せざるを得ない。

例えば、一般に楽器の生音が一番良いと思われていると思うが、本当だろうか?ストラディバリの音が最高だと言っても、その音の波形を観測し、それ通りの音を再現することはもはや可能である。さらにそこから雑音と思われる周波数帯を削除することも容易だ。さらに言えば、奏者に依存せず正確な音を奏でることや、音量の調節・音の反響具合をシミュレーションして奥行きを表現することすらも可能である。

例えば、音楽にはそれぞれにリズムがあり、それぞれのある程度パターン化したリズムで複数人が合奏するが、機械であればお互いに寸分違わぬタイミングで奏でることも容易である。ただメトロノームのように機械的に打つのではなく、後ろノリやタメ、音符の切り方など色々な方法でグルーヴを生み出しているんだ、と主張する者もいるだろうが、個別にタイミングをずらして人の演奏そっくりに再現することだって不可能ではない。こちらも先ほど同様、奏者の腕・コンディションに影響されず演奏できるし、何よりミスがない。

例えば、現実には不可能な演奏も可能である。生身の人間では物理的に間に合わない演奏や、場所・設備の問題で演奏できない、といった問題もなくなる。演奏中にチューニングを変えるなんてもはや何の問題もない。過去の偉人の演奏すら再現することが可能なのだ。 例えば、人間工学などを用いて、人間の耳・脳にとって最も心地よい音楽を作ることも可能かもしれない。また、既存の音楽をより優れた(耳当たりの良いという意)音楽に作り替えることも可能だろう。

これらの要素を踏まえて、再度先ほどの問いに戻りたい。

『良い音楽とはなんなのだろう?』

これだけ優位性を挙げても、デジタル化された音楽よりもライブ・生音が重宝される理由はなんだろうか?

答えとして、「デジタル化された音源には魂がこもっていない」などといったことが挙げられるかもしれない。確かに、ライブは独特の気迫を感じられる。しかし、デジタルがそれに劣って無機質だとは私には思えない。CDの録音においても、何度もリテイクを繰り返し、そのメンバーが出せる最高の演奏を録音しているのだろうし、音を人工的に作る際も、普段の演奏以上に細部にこだわり作りこんだ努力の結晶だろう。人が作り上げたものに無機質なものなどないし、気迫の優劣もない。

また別の答えとして、「デジタル化された音楽はニセモノだ」という意見もあるかもしれない。音と音の繋ぎが不自然だったり、上手くチューニングしていないと耳障りな音になる。 しかし、それならどこからが本物だろうか?アンプやエレキギターを用いたからといってその音はニセモノになるのだろうか?『perfume』の声はニセモノだろうか?初音ミクと彼女らと何が違うのだろうか?

以上を踏まえて、私は、良い音楽とは音楽以外の要素で決まるのではないかと思う。例えばコンサートホール・ライブ会場といった場、生身のミュージシャンが自分のために演奏してくれるといった優越感、同じ空間にいる人達、聴く時の自身の感情などである。また、特定の曲への思い出もまた、その曲を名曲にする。デジタルだから良くない、間違えたから良くない、といった音楽単体のみでは曲の良さを測れないところが音楽の奥深さであり、面白いところだと感じる。

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