攻殻機動隊の世界(哲学っぽく)

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あなたは、どうやってあなた自身を証明しますか?

物理的に体が存在してるから、ですか?

では、手足がなくてもあなたですか? 顔を整形してもあなたですか?

このくらいなら、たぶんみんな『Yes』というと思います。

では、首から上だけになったら? 心臓は?

このあたり、意見が分かれるのかもしれませんが、 『銀河鉄道999』とかでも出てくる機械の体、っていうのは、 完全に肉体が無くても自分ですよね?

つまり、『あなた』の存在は物質的なものではない。

ではあなたとはなんですか?

思考ですか?

かのデカルトのように、『我思うゆえに我あり』ですか?

その思考は本当にあなたの思考ですか? それは所詮、脳のシナプスの電気信号の集合体でしかないんですよ。

五感が錯覚していたり、精神的ショックなどでそもそもの記憶を捻じ曲げていたり、 また攻殻機動隊の世界のように、記憶を書き換えられたりしていないと 証明することなど不可能なんです。

例えば、幻覚・幻聴の類が間違ってるなんて誰が断定できるのでしょうか? 僕らこそ感覚情報をきちんと処理できていないのかもしれません。

記憶なんてもっと曖昧で、精神状態によって 自分の都合のいいように書き換えられます。

ちょっと話を変えます。

科学は思想や哲学をひっくり返してきました。

人々が幸せに暮らせるように考えられてきた科学ですが、 結果、自然・生物を数値化し、 人間の幸せを定義し、 物理的な裕福さを追い求めてきている現在は 本当に幸せになれてるでしょうか?

精神的安定を図るためなのかはわかりませんが、宗教といったものがあり、 『信じる者は救われる』といった思想もありますが、 自然現象を物理的に説明し、数値化してしまった時点で、 神の存在、見えざる手の存在はだいぶ怪しくなってしまいました。

同時にそれは、人間もまたいろんな物質・信号の 組み合わせに過ぎない、ということことも説明されてしまいました。

人間は、自分で自身の可能性、無限の神秘といったものが ないことを証明してしまったのです。

生命には無限の可能性がある、とかいってても、 身体機能の向上のための義体化、 記憶力向上のためのストレージ化、オンライン化 なんてしてしまえば、義体の持つ数字以上のポテンシャルはありません。 自分で自分の可能性の上限を設定してしまってるんです。

また、先ほどの話のように、機械と人間の境目が曖昧になる世界では 人間の存在自体すら怪しまれます。

どこまでが人間?どこからが機械なの?

人形は物質?

それに歯車とかICチップ埋め込んでランダムに動かしたら?

人間の思考も所詮はシナプスの電気信号で動いてるって証明されてるんですよ。 どう違うんですか?

そもそも、生命というのも、 自身のDNAを後世に継承していく一時的な記憶装置でしかない。 遺伝子に組み込まれた通りに設計されて、 本能という名のプログラムに従い、 危険を避け、交配相手を探し、 生理的欲求を処理してていくだけの存在。

脳にあらかじめプログラムされた感情・本能といった演算をこなしているだけ、 とも言えます。 (この表現は理系特有でしょうか?)

さて、初めの問いに戻りますが、こういったことを考え始めると 自分が機械なのか本当に人間なのかすらわかんなくなってきます。

結局、この世に絶対なんてあるわけなく、全てが主観に過ぎないのです。 (絶対なんて絶対ない、って自己矛盾ですね。)

ここで、自身の存在の確立のロジックが ざっくり西洋と日本で異なるらしいのですが 長くなったのでそこは次回で。

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