深夜の新宿の街を、心地良い車の揺れとともに彷徨っております。
「今日は、風が煌めいてやがるぜ」 (アニメ:男子高校生の日常 より)
え~、 今、夜行バスに乗ってます。 行き先は仙台です。
こないだ、みちのく仕事にお邪魔した時に、「ちょうど今週、お泊り会を開こうと思うんだけど、良かったらどう?」 と言われ、衝動的に参加しましたf^_^;)
そのため、ブログの内容が手抜きなのはご了承ください。
あとでガッツリ書きますので!
今回は、あんな中二っぽい書き出しだったので、僕の常々抱いている価値観についてのお話と、そこからの現実的な活用についてのお話です。
あの、もしかしたら以前もどこかで書いたような気がするのですが、まぁそんな昔の読んでくれてる人いないでしょ( ´▽`)
時間
時間は地球上全てに平等に与えられます。
で、その使い方にも、良いも悪いはなく、全てが大事な時間だと思ってます。
どういうコトかというと、
- 全力で仕事してる営業マンでも、
- のんびりお茶してるお母様方でも、
- ゲームしかしないニートでも、
みんな無駄な時間の過ごし方はなく何かしら成長している、という考え方です。
なぜなら、
- 仕事してる時は、仕事のスキル・知識が、
- 人と話してる時はコミュニケーション能力・表現力などが、
- ゲームしてるときでも、そのゲームに対してのスキルや知識が、
それぞれ身に付いてると思うから。
頭の良し悪しや、効率が違う、などから、時間の密度は異なってくるでしょ。 という意見もあるかと思いますが、僕はそれは一側面に過ぎないと思います。 一見差があるように見えるけど、より本質的な理解だったり、他のことに気が散ったら、そちらの知識も得れたり、ニガテな自分だから見えてくるものもあったり、とすると思うんです。
ベクトルで表すと、二次元で見ると差があるようにみれるけど、三次元だと実は同じ長さ、ってイメージです。
この考え方でいくと、自分と違う時間の使い方をした、全ての人を尊敬できます。
年上は、より多く時間を使って来られたので、さらに尊敬の念が増します。
で、 いわゆるオタク・ニートとか、社会的な評価が低い人も、違った方向のベクトルがものすごい伸びてて、一側面ではスゴい知識などがあるワケです。
僕は、この考え方でもって、他人の考えを受け入れたり、敬意を忘れずにいます。
さらに踏み込んで、 それの、現実の活用法
は次回でいいや。(@ ̄ρ ̄@)