アニメだけ見ました。ラノベも読もうかな。
現代においての新しい視点をわかりやすく提示してくれるという意味でとても斬新な作品。
ぼっち・オタクの良いところ悪いところを論理的に的確に表現して面白かった。
概要
主人公は悟りぼっち。 空気を読むのは得意だが、合理性を追求した結果他人と関わるのを避けるようになった。 引きこもりでないのはご都合主義っぽい。
(主人公はあくまで作者の代弁者のような感じで、既に完成されたキャラっぽい。 初めのキョドったりしてた設定は直ぐになくなったし、ぼっちに一切の迷いがないし。)
サブ主人公はハイスペックぼっち。 能力が高すぎて周りから嫉妬の対象となった結果。
(詳しくは書かないけど、こういった設定に女性が多いのは、やっぱり一般的にそうだからなんだろう。)
集団生活を基本とする「社会」へ出る前の訓練場としての「学校」を舞台として、 上記二人のぼっちの価値観と処世術を考察するお話。
何が面白いのか
ぼっちの価値観を上手く表現しているところ
先述の通り、学校という場では集団活動への経験が重視される傾向にある。 しかし、それを苦手とする(あるいはそれを習得する気がない)人も一定数いる。
そういった人種は声を上げることをしない(&そんな場はない)ため、 多くの人は彼らの心情を知らないままにいじめ・更生対象としてきた。
この作品では彼らの言い分を悟りぼっちに語らせることで、 ぼっちの隠れた生態系を解き明かすことにあります!
といっても媒体がラノベ&アニメなので「ぼっち」にカテゴライズされる人ばかりが見てるのでしょうが、これだけ人気なのをみるとやはり共感する人が多いんだろうなと思います。
ぼっちの生態系を学びたい人は是非。 卒論とかにもいいんじゃない?
集団生活でよくある問題に的確に対応している点
問題に対しての良くある間違った対応として、手段と目的がごっちゃになってしまうことが挙げられます。
「コミュ力が一番」とか、「みんなと同じようにしなさい」という人も、『世の中を生き抜くため』という目的を見失い手段に走ることが多いように思います。
もっとも、学生のうちは学校内が社会の大部分なので、 『学校で上手く生き抜く』ためのコミュ力というなら間違ってないのですが、 失敗しても食えなくなることはないでしょう。(家庭の方針にもよりますが。。。)
その点、作中の合理主義の悟りぼっちは目的指向です。
- 相手に気に入られたいための手作りなら、上手い下手はあまり重要ではない。
- 楽しく過ごしたいための友達作りなら無理することない。
- 批評を求める相手にはお世辞抜きに徹底的にやる。
- 問題の『解決』が無理なら『解消する』というウルトラCを仕掛ける。
- 成長したいための委員長なら、本人が頑張ってなくても成長させる。
などなど。
結果が出来過ぎなのはよくあることですが、毎回感心する手段を取ってくれます。
ついで言うと、先生も合理主義です。ぼっち達をリア充達と共にキャンプに連れて行った時も、 「(彼らと)仲良くなれとは言ってない。上手くやれと言ったんだ」 といった趣旨の発言をしています。
気になった点
ハイスペックぼっちは周りが同レベルの環境に行けば人付き合いも上手くやれるだろうし仕事にしても問題ないだろうからいい。
でも、悟りぼっちは社会に出てどうやって暮らしていくつもりなのだろうか? そこを考えずにぼっちを許容しているのだとしたら、ちょっと無責任な気もする。
ただ、「人と協力する能力がないと生きていけない」という主張に対しては、インターフェースとなる人(この作品では萌え枠の女の子)が居てくれれば問題ないと思うけど。
あと、普通はここまでぼっちを極める前に両親が何か言うと思うんですが隠してるんでしょうか?悟ってるのに隠すというのはおかしい気が。
おまけ
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随所で言葉遊びのセンスが良いなと思いました。西尾維新とまた違ってシンプルな感じですね。
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12話の屋上の話はコレ読まないと意味がわかりませんでした。