個人メモ。なんでこんな本読んでんだろ。。
幸福になりたい病
人は誰しも幸福を求める。ただ、どうすれば幸福になるのか、といった思考までしてる人は多くない。
あえて「僕らは不幸だ」と極論に振った上で、「いや、不幸じゃない。だって〜〜」と読者に語らせるような、その過程で読者に気付かせたいのか、、、
よくわからないけどそんな本。
無知は幸福か?
幸福とは知らないことに起因しているのでは?そこで判断を辞める。
「聞かなきゃよかった」「知らなきゃ楽なのに」といったことはよく言われるけども。
他人を傷つけても幸福になりたいか?
誰しもこうふくをめざすが、他人を傷つけている。 自分が幸福になろうとするのはそれらを無視すること。
真実をねじ曲げても幸福か?
時には真実を曲げて幸福であり続ける。
自分の不幸を、自ら望んだものとする。DVなどもそう。
物事の優劣を測る際に、自分の不遇を亜ビールすることで評価を下げてもらえる。同情される。
人のために尽くすことは幸福か?
そこへ意識を向けすぎると思考停止、安定へのしゅうちゃくを引き起こす。
他人の幸福は信じるしかできない。
全員を救おうとすると必ずミスる
誰かのためを思って、は嘘である。
死が絶対的不幸か?
殺人や暴言が悪だと言われたら、そんなことはない。なぜ絶対的な事実だと捉えているのか。
幸福は誰が決める?
幸福だと思われたい欲求。
恵まれている状況でも、自分より恵まれていない状況を考えれば幸福は冷めてしまう。 普通の人は見ないようにしている。
社会は幸福を押し付けてくる。
引きこもりは楽しくないとか、ゲームはまやかしとか たにんをきづつけないとか
幸福になることはさほど苦労ではない。それより、幸福だと人に思わせることが難しいのである。
日本は監視しあっている。そのため自分の主張も押し殺す
マジョリティはうっとおしい。
有名になるのがいいのではない。自分の自尊心、受け取りてが増えるのが嬉しい
まとめと私見
筆者は、「幸福とは思考停止である」とでもいいたいようです。
「自分は色々考えちゃうから不幸なんだ」っていう中二病的な感じがしました。
幸福か不幸かという議論は不毛で、どこまで追求したいかだと思う。そこに価値を感じないなら浅めで楽しむのは理にかなっている。目をそらしたい現実だってある。
自分のしたいように生きる。 それができてないなら不幸だ。縛りが多いのも不幸だ。 街中で裸になってもいいよ。捕まってもいいや、きもがられてもいいや、とおもえるくらい裸が好きなら。
幸福を目指すから悩む。やりたいようにやればいい