勉強しなくなった日本人

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※過去記事です。

勉強しなくなった日本人

タイトルはこの記事からです。

どうもこの筆者は日本人の勉強離れに対して憤っていて、競争を激しくすべき、などと言っていますが、単純な疑問として、なんで勉強しなきゃいけないの?と思います。 当時日本人が勤勉だったのは、敗戦時のマイナスからのスタートに対して欧米諸国に追いつきたかったからでしょうし、そうしなければ国として成り立たなかったからでしょう。

さて、そこで2つの観点について話していきます。

  • 勉強しないとどうなるのか。

  • 勉強とはそもそも何を指しているのか。

勉強しないとどうなるのか。

先述の通り、じいさん・父さん世代の日本人がなぜ勤勉だったかといえば、そうする必要に迫られたからだと思います。今の中国人やアメリカ人がなぜ必死に勉強するかといえば、そうしないと貧しさから抜け出せないからでしょう。

振り返って現代の日本はどうか。親世代が裕福になってくれたおかげで子供の頃は何不自由しない。 しかも生活保護や皆保険など、保証は充実している方でしょう。これといって勉強する必要性がないでしょう。

ハングリー精神なんて抱きようがないのですよ。ハングリーじゃないから。 そして、勉強しなくても生きていける国になっているのだとしたら、それはむしろ喜ぶべき事な気がしますが。そのために親世代は頑張ってくれたんじゃないの?

もし、グローバル化してヤバイから勉強すべき、というのであれば、若者関係なく全ての層が対象でしょうよ。

勉強とはそもそも何を指しているのか。

「とは言っても、グローバル化に対応しないまでも就職できないと困るでしょ?」という声があるかもしれません。

それは同感で、実際にこんな記事もあります。

視点・論点 「”就活自殺”の背景に迫る」(NHK)

なんでこの事実を知りつつ勉強しないのか?

冒頭の筆者の言う勉強は、学校の勉強とほぼ同義かと思います。実際の就活において企業がほしいのは第一にコミュニケーション力だと言われています。 逆に日本の大学のせいか企業の雰囲気のせいか、勉強ができる、といった能力はあまり求められていません。

つまり、なんで勉強しないかというと、する必要性がないからでしょう。マジメに勉強をするよりも、外に出てコミュ力を磨いた方が合理的なのです。実際に面接などでもアピールすべきは大体がサークル活動とかでリーダーシップを発揮した話ですよね。

日本の教育がアカデミックに寄り過ぎで実用性がないとか細分化し過ぎているとか、企業側の人事の方針が特殊すぎてポテンシャル採用となっているからかはここでは詰めません。

が、いずれにしても、「勉強をしなくなった」というよりも「する必要がないからしない」といった方が正確だと思いますし、教科書通りの「勉強」をしてないから良くない、という発言はいささか不愉快です。

(じゃぁ、ここまでしてなんで就活に失敗する若者が多いのか。 それは就活の評価基準が曖昧だからでしょう。 コミュニケーション力が一番に問われるからそれを磨いてきたのに、評価者の独断で、『フィーリングが合うか合わないか』で特に理由もないまま却下される。)

着地点があいまいでハードランディング気味ですが、 勉強なんて普通はやりたくないものなので、やるべき理由が見つかるまではいいのではないでしょうか。 理想はやっぱり、勉強なんてしなくてもいい社会ですかね。

オマケ:なんか古いの見つけた。 <iframe width=”350” height=”250” src=”//www.youtube.com/embed/WLKk00OYKhU” frameborder=”0” allowfullscreen></iframe>

コメント

「評価基準が曖昧だから苦しい」のは、やっぱまだ「受験勉強」とかの「○○ができればOK」という価値観にチューニングされてる気がしますね。大学受験までそれを求められてきたわけだからしょうがないんだけど。 その価値観のもとでの「コミュニケーション力」というのはとても奇妙な感じがする(俺はそもそも「曖昧」というか「多様で隠されていて認知されてもいない」もの(信念とかね)に対して影響を与えていく営為がコミュニケーションと呼ばれるべきかと思っているゆえ)。

だから、就活に失敗する理由としては、「評価基準のあいまいさ」というより「対策の偏り、もしくは不徹底」と言った方が建設的な気がするなぁ。傾向と対策(こういう人が受かっているから、こういう風にしよう)で止まってしまっている就活対策が多くて、抽象化されてない印象を受ける。

細かいところにコメントしてごめん。 勉強する必要がないからしない、という大筋には賛同。ただその代わりとなる行為も、「勉強」と同じような思想でやっていてはあまり変わらないのかなあ、ということです。

コメントありがとう。 「○○ができればOK」という価値観はありますね。これは学校教育の賜物なんでしょうか。。。学校では学年や境遇などが自分と近い人しかいないので、違う価値観に気付かせてくれる(社会はそういう曖昧なものなんだ、って理解させてくれる)存在が必要かもしれないね。教育も、「これはこういうもの!」という教え方じゃない、知識以外の面の教育も必要かも。

また、昨日しもむーと話してて、ちょっと別の視点が見えてきました。

就活についてのこの問題は、雇用者への法の縛りが厳しいことがそもそもの原因ではないかと。 簡単に首を切れないから、仕事のスキルよりも、長期的に信用できる人柄が重視される。つまりは判断基準が抽象化されていく。 新卒採用がメインなのもそういった理由からでしょうし。(欧米だと即戦力のスキルが求められるので、日本より競争が厳しい分、判断基準が明確だと思われます。)

要は、学校教育と仕事においての価値観の乖離と、評価の不明瞭さ(納得できなさ)が問題じゃないかと思いました。

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