評価と贈与の経済学

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評価と贈与の経済学

タイトルは仰々しいけど中身はラフなもんで、「これからは資本だけじゃなくて信頼(≒評価)が大切だよね。そのためには贈与しあうことだよね」といった内容です。研究者の内田さんと、なんか自由気ままな岡田さんが同じ結論になってくのが面白かったです。

  • イワシ化する 脳カ化する社会 →情報が溢れるようになって、基本的なニュースは大衆に合わせておけば問題無いだろう、という認識になっている。特に考えず群れになる感覚。 しかし、マスメディアの衰退で共有する文脈がなくなってきていて、各々が自分の好きなものをフォローして仲間を作っていく。そこでもまた共通の価値観を持つ者同士群れになり、違う意見(自分の「好き」が脅かされる意見)を拒絶する。 それらをイワシ化と呼んでいる。

  • 嫌なことをやると身体能力が下がる。からやる気をなくして無気力になる。 →近年では身体的なシグナルを無視しがち。周りに合わせるんじゃなくて自分の体調変化にも気を使う必要がある。

  • 理想を高く掲げさせられ、現実に挫折するから肯定的な意見で守らざるを得ない。 →相対評価の中ではストレスが多分に溜まる。すると精神的安定のために、自分の耳に心地いい話ばかりを取り入れるようになってしまう。

  • 武道のそもそもの目的は自己研鑽 →武道とは本来、自分の生きる力を高めること。勝敗や巧拙は関係なく、昨日の自分より(生物的に)たくましくなれたかどうか。

  • 努力・能力と報酬は一致する、わけない。 →当たり前と言いつつ、内心信じている人が多い。例えば自分の努力が報われないから嫌だ、などという場合、本当にそのシステムを信じてたら報酬を急ぐことはしないはず。報酬になることを急ぐのは、自分の(能力の)価値を認めてないから。 じゃぁ努力は不要かというともちろん違くて、自分の努力を楽しめる人はそれだけで報酬を得ている。そこを楽しめるようなマインドを持っておくと生きやすくなる。

  • 自分の成功は自分だけのものか。 →成功は自分の力じゃない。過去に食わせてもらってたから今報酬を得られてる。それを次の世代に返す。他人を食わせるために頑張ろうって思えればいい。自分が養える人たちは相互に支えあっていこう(拡張家族)という考え方。 一人でも生きていける(なんでも一人でこなすべきとする)時代は終わったので、残ったパイを有効に分け合うには集団を構成したほうが効率的。近年のシェアハウスとかも拡張家族。

  • 評価(贈与)経済について。 →誰かにパスを出すことがゲームに参加する条件。相手からパスを待ってるうちは輪に入れない。誰かに与えないと、自分の今の与えられた境遇を自覚できないから。(返報性の原理) 評価経済の中で、損得とかでなく非対称なやり取りをすることが家庭を持つ意味。贈与を始める人が親。誰でも偉くなれるシステム。そして子は、師と仰げる人* カリスマ性のあるひとを擁立する。

ネットが広まり、良くも悪くも信用が素早く確認できるようになった。現時点の資本より、これらの信用の方が重要になるのでは。

  • アメリカはリカバリーの文化 →失敗してからなんとか取り返そうとする。未然治療の概念はない。 例えばロッキー。日本人だったら、「あんな年までダラけてるやつに、今までずっと努力してきた人が負けるなんて。」とかなる。

  • 20年前の日本の学術レベルは最高峰だったが、資本主義の観念を取り入れ過ぎて崩壊した。 →そもそも教育に対して費用対効果などを求めることは難しい。学校は生徒の眠った知性を呼び起こすもの、敬意を評するもの。人をみるというのは、数字を比べることじゃない。 また、研究においても、「それは金になるのか?」などと問われてしまっては純粋な研究(答えの見えない研究)ができなくなる。昔から、とりあえず研究してみてそれが社会に役立つかどうかを考えるのが一般的だった。

  • ちょっと感想 →エンジニアの世界では、オープンソースとか「GitHub」とかあるし、わりと評価経済が回ってると思います。全ては幸福を最大化するためで、こういった考え方はますます広がってくと思います。そして、資本主義ガチガチのアメリカより、日本や北欧の生き方をしよう、といったことに近いです。

オマケ: 文章において、わざと逆のことをいう事で間口が広がる、一見難しい事が、「俺にしかわからない」と読者に思わせたら作者の勝ち

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