火の鳥

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火の鳥 1

手塚治虫の「火の鳥」です。 ヤフーのブックアプリで一週間無料だったので全部読みました。 (ちなみに、ヤフーのアプリはひどく使い勝手が悪くて、これが有料じゃ絶対買わないな、と思うような出来でした。無料キャンペーンが逆効果なんだけど。。。)

では本題です

先日の記事で書いた、「分析的システム」「自律的システム」や、「利己的遺伝子」の考え方を用いて書いていきます。単語については前記事を見てください。 分析的システムと自律的システムを別角度から捉えたファスト&スローはこちら

人の様々な行動の根源には、これらのシステムが関与していると思います。 ここで、もう少し踏み込んで考えます。

人が考慮する範囲と、その時のシステムをこんな感じで定義してみます。 * 自分のみ(自己中心的) → 分析的システム * 自分とその身内(家族・国・民族など) → 分析的システム * 人間全体 → 自律的システム * 地球全体 → 超理性的システム(僕の造語。仏教思想みたいなもの)

いくつか分類しましたが、人の意見の相違や対立は、ここの一致が取れないことで起こるのではと感じました。

また、そもそも生物として、自己の遺伝子を後世に伝えることが第一目標である「利己的遺伝子」という考え方があります。これは種全体の繁栄もそうだけど、自身の遺伝子を引き継ぎたい欲求もあるはずです。

思ったことを箇条書き的に列挙していきます。

日本人的な考え方

→この作品は良くも悪くも日本人的思想(もしくは仏教思想)で書かれてる本だなぁと思いました。大きなテーマは、万物流転とか輪廻転生とかでしょうか。 西洋と違って、あらゆる生き物を含めた地球全体を「生物家族」としている様が見て取れます。(その辺の背景は過去に書きました。

日本人ならこの考え方に少なからず共感できるのではと思いますが、共感できる場合は、『善い考え方』とは超理性的システムでもって、地球を生物家族としてみなすことだという価値観を植え付けられているのではないでしょうか? この思想に共感できるのに自分の普段の行動や考えがそうなっていないのだとしたら、どこかで捻れてしまっているため、たぶん不幸な生き方です。

自分の考える『善い行い』が何なのかを考えると、日々の行動がもう少し変わってくるんじゃないかなと感じます。

栄枯盛衰や天変地異

→ずっと同じ遺伝子が栄えてしまうと生態系のシステムとして歪んでくるので、適宜調整するようにできているのではないか。

地球は1つの生物だとする考え方があります。そして理由はわかりませんが、利己的遺伝子は後世に残ることを目的としています。 ずっと環境が同じだと、遺伝子としてはその環境にマッチしたもののみが栄えていき、その他は駆逐されてしまう恐れがあります。そうすると変化が起きた際に対応できなくなってしまうので、多様性を維持するために、適宜天変地異でもってリフレッシュするのではないかと思いました。

人間レベルでも同じで、ずっと同じ政権で同じような環境が続くと多様性がなくなるので、何か高次な力によって適宜調整をされていくのではないかと思います。

因果応報

→仏教などで良く語られますが、そもそもこの考え方が生まれた背景として、自分のために他者になにか危害を加えた場合、相手も分析的システムでもって自己を守ろうとします。そうするとお互いに自己のことのみを考えてしまい近視眼的になってしまうので、それを諌めようとしてるのではないかと思います。 自律的システムでもって遺伝子の存続を考えた時に、他者を殺してしまうことはその遺伝子が引き継がれなくなることで、それは人類全体で考えた時にマイナスになってしまうという考えがあったのではないかと思います。(人も他の生き物も変わらないという考えのもと、他の生物にも適用されたのではないかと。) 実際にはその影響は無視出来るような微々たるものだと思いますが、先の世代に残すマイナスは少しでも減らそうとする日本人的思想です。

不死に憧れる理由

→人は一度は不死に憧れるかもしれませんが、おそらくその思想の背景には分析的システムがあります。 生物が有性生殖をするようになったのは多様性のためです。そこを同じ遺伝子がずーっと生き長らえる価値はありません。(無性生殖なら意味がありますが、人は違います。) なので、ただ自身の(個の)存続を願う意思に遺伝子は関係ありません。要は自分勝手な発想です。

人はとかく自分中心に考えがち

→人は主観でもって自分中心に考えたがりますが、俯瞰的にみると自分なんてちっぽけな存在です。それを盲信するのは、今だに地球が中心だという天動説を主張するようなものです。 種の繁栄のためには、国や民族が違っても人同士争う意味が無いし、他の生物もいなくては当然食物連鎖として成り立たないのでむやみな殺生や汚染物質垂れ流しはマイナスです。

法律や道徳、倫理の由来

→法律はその集団(社会)が機能するように分析的システムでもって考えられたものだと思います。一方で倫理や道徳はもう少し広くて、人間が繁栄するには社会としてどうあるべきかという自律的システムから成るものだと思います。(道徳と倫理の違いは諸説あるっぽいので割愛)

輪廻転生

→人を地球家族の一員とみなす超理性的な考え方。人に限らず、どれか1つの種・遺伝子が生き残っていれば是とする超理性的システムが根底にあるのでは。

一時の感情に身を任せる

→作中で何度も、感情的になって行った行動に後で悔いるシーンが出てきます。この行動心理を考えるのはちょっとややこしいです。 おそらくカッとなるのは自己を守る自律的システムの表れだと思います。この時、相手はおそらく自分とは違う種族と認識している、もしくは奇行種として認識しているのでしょう。その後、分析的システムが働き、自分にとって必要だったと理解して後悔するのではないかと。

人同士の争い

→古くから人の争いは起きてしまうものです。作中にも幾度と無く起こり、火の鳥が悲しみながら傍観していました。 なんで同種族同士で争うのかについては、おそらく自分の身内の繁栄のみ考える分析的システムが働くからです。 作中に、犬と猿が争い合う例がありました。 彼らは元々仲が良かったのですが、互いの一族が繁栄してきて、今のままでは土地や食料が足りなくなることから、一族の繁栄のために領土を賭けて争い合ったのです。こちらは種が違いますが、大局的に(超理性的システムで)考えると、同じ生物同士なぜ争い合うのか、という話になります。

種の繁栄のため仕方なくというのであれば、弱肉強食の掟からもまぁ不可避なことだとは思います。翻って現代人はどうでしょうか?生きていくのに問題はなくても、低次の欲求を満足させたいがために争ってませんか?その争いは、短期的には得でも、長期的に子孫の繁栄のためにはマイナスになりませんか?

嫉妬心とは?

→人はなぜ嫉妬をするのでしょうか? というより、生物も嫉妬するのでしょうか? おそらく嫉妬とは、分析的システムでもって他人と自分を比較した時にのみ生じるものだと思います。生物に本来備わっているもののようには思えません。思いっきり不要な感情だと思います。

正しい人、清い人とは

→定義として、正しい人は超理性的システムで持って、世の中全体の利益を考えられる人(自分の家族や種族さえ良ければいいというのは正しくないです)。清い人もほぼ同義で、こちらは自分の低次な欲求より周囲を優先出来る人。

いつの世も権力を振りかざす輩は存在します。そんな暴君が作中何度も出てきて、その度に腹立たしく思ってました。他の被害者のために正しい人が立ち上がったとしても、暴君の策略・権力によって踏み潰されてしまうことも何度もありました。 また、性根の腐った輩が自分勝手な振る舞いをし、清い人被害を被りますが、清い人は相手のそんな言動すら赦してしまいます。そしてまた自分勝手な行動の被害に遭う、この繰り返しです。(DV夫と妻の関係もこんなものなのかも)

正しい人・清い人が報われる世の中を作りたい、と常々考えています。それには権力を正しく使わなければならない、騙す人よりも頭が良くならなければいけない。いくら清く正しく生きていても、生活できないほどお金がなければ魂を売るのも致し方ないです。そんな世の中にはしたくない。正しい人が正しい行いをしても誰も嫉妬をせず、清い人が清いままで居続けられるような社会を作りたいです。

本来、人は幸せになるために社会を作り、宗教を作り、仕事をしてきたはずです。「自分だけがより多くを」と考えだした時にそれはおかしくなります。人がみな幸せになるため、という目的からズレると火の鳥に笑われるような気がします。

オマケ: ウルトラマンみたいに生きたい。

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