科学技術の発展と信心

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科学技術が発展するまでは、神の存在が信じられていました。 というよりも、説明できないコトについては 「全て神がお造りになった」 などという創世記のようなものが多く作られました。

しかし、科学が発展してきてからは、そういった 『神のみぞ知る』といった事柄が 説明できるようになってしまいました。 逆に神の存在はどんどん不安定になっていきました。

科学進歩の結果として便利な暮らしを享受出来てるわけですが、 同時に心が満たされない人が多くなってきてしまったのかな? と思います。 特に、無宗教な人が多い日本で顕著になってるんじゃないかな なんて偉そうにも思ってます。

なんでも科学で解明できるようになってから、先人の教えなども ないがしろにしてしまっているような気がします。

例えば、

「他人は自分を映す鏡。自分が良い行いをすれば人も良くしてくれる。」 ⇒自分にとってメリットのある人には優しく接するけど、  どうでもいい人(キモオタ・キチガイ)に優しくしても意味ないじゃん!  あんな奴らに嫌われたって問題ないし、好かれたって何も得しない。

「全てのモノ(八百万)には神がやどっているから大切にしなさい。」 ⇒大事に使うのめんどくさい。  壊れたら新しいの買えばいいじゃん。  大事に使ってなんか得あるの?  それに、流行りのものとかあるし、  何年も同じデザインのものとか使いたくないし!

「誰も見ていなくてもお天道さまが見てる。」 ⇒見てるわけないじゃん。  誰もいなけりゃポイ捨てしても怒られないし、  バレなきゃ何やったっていいじゃん。  むしろバカ正直に信じてるやつなんなの?ほんとにバカなの?

「信じれば夢は叶う。」 ⇒そんなわけないじゃん!  物理的に無理だったり才能には勝てないに決まってんじゃん。  巨人の星バリの根性論ですか?  イマドキそんなの流行んねえっすよ!

なんかでしょうか。

書いてて悲しくなりましたね。 なんかもうココロが貧しすぎて…

そこで、先の大震災は、不謹慎ですが 今までの生き方を見つめなおす良い機会だったのかなと。 物質に頼った生き方がかくも脆いものなのかと実感した という話もよく聞きます。

宗教を信仰しろ!なんていうつもりは毛頭ないのですが、 もっと精神的な充実も考えた方が良いんじゃないかと。

自分にとっての『損得』で測るのではなく、もっと『粋』に生きてみるのもアリではないでしょうか?

僕の今年のテーマも粋に生きるです。

参考 バレなければ良いという生き方

現代は、なぜ生きづらいのか

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