日本文化と空間認識

| Comments

科学未来館でチームラボ展に行ってみたり、DVDで作品を見たりしていたので、 そこから過去の日本人の思想を個人的にまとめてみました。

チームラボって、何者? [DVD付]

序章

  • パースペクティブ・・・縦横高さの3Dモデルの見方、写実的

現代人は世界をパースペクティブで認識していると言っていいでしょう。 これは単に西洋文化が入ってきただけでなく、多くのCG技術や写真などのテクノロジーの発達によるものが大きいのでしょう。

ところが、現代人が改めて日本画を見るとどうも平面的に見えてしまいますよね。 これは当時の日本人の絵の技術がなかったからでしょうか。 もしかすると当時の日本人は本当に日本画のような世界が見えていたのかもしれない。 少なくとも日本画を愛でる文化があった時点で、日本画の描く論理構造の世界を認識できていたと見るのが普通ではないでしょうか。

そういうことを考えてアート作品として昇華させたチームラボの作品を見て、当時の日本人の視点、価値観を考えてみます。

チームラボから読み取れるもの

日本画的な視点はありえるか

DVD5 「花と屍 剝落 十二幅対」

この作品は、当時の日本人は世界が本当に日本画のように見えていたのではないかという仮説のもと、一旦正しい寸法(パースペクティブ)で3Dモデルを作ったあと、そのまま画面に描画するのではなく独自の論理変換(レンダリング)を行って画面に表示してみることで、当時の日本人の視点を理解してみようという試みだと推測されます。

この作品のキモは、正しい寸法(パースペクティブ)を見ていても日本画のように認識できそうだ、ということを証明したことと、その論理変換のロジックにあると思います。 論理変換の内容については、猪子さんの動画のところで詳しく書きます。

時間

DVD4 「憑依する滝」

この作品は、当時の日本人の認識する時間が現在よりもゆるやかだったのではという仮説のもと、 写真の露光時間を長くするように水の粒子の軌道を残してみることで、実物よりダイナミックな滝が描けるのではないか、という試みだと推測されます。

日本画っぽく見えるかは怪しいところですが、当時の日本人の認識する時間が遅かったのでは、という仮説はおおいにありえそうなので後で少し触れます。

視点

日本文化と空間デザイン~超主観空間

西洋の絵は、中世のころには既にパースペクティブを活かした作りになっています。例えばモナリザの絵は見る人とモナリザとが向かい合っている構図になっています。モナリザの視点に立つと当然見る人が目の前に見えるかたちになってしまうので、絵の中にはいることはできません。

一方日本画は、パースペクティブの描き方をしていないので見る人が絵の中に入り込むことができるのではと推測しています。

例をいくつか挙げています。(メタルギアは僕が勝手に載せました。。)

  • マリオ・・・横スクロールの2Dの世界ですがちゃんと空間をイメージできます。
  • ドラクエ・・・主人公が歩く世界を俯瞰的に見てプレイしているけども登場人物になりきれます。
  • メタルギア・・・カメラの位置を変えることで、本来主人公からでは見えない位置も見えています。

対してアメリカのゲームは主人公目線の3Dモデルが大半です。(具体的なタイトルは知らない。)

さて、パースペクティブの見方が浸透している現代人から見ると、それ以外の視点を持てることを想像することは難しいように思います。

しかしよく考えると、別の視点を持つことは可能なのです。

改めて自分の目で認識している世界を考えると、思ったより狭くて浅いです。見る対象とみなしてない物体は、視界には入っているはずなのに見えなかったりするでしょう。 しかし、僕らは今視界にない世界(自分の後ろとか)であってもおおよそ認識しています。それは脳が過去に見たものを繋ぎあわせて、あたかも3Dを作るようにモデル化しているからです。そのつなぎ合わせる作業が先述の論理変換だとすれば、パースペクティブで繋ぎ合わせる以外にも別の実装をしていても不思議ではありません。

その実装の一つが日本画的な論理変換で、当時の日本人がそれを実装しているとしたらつじつまが合います。

非実在文化

日本の文化は「非実在文化」、そして、本当は、情報社会と相性が良い──日本、アジア、そして21世紀

欧米はスーパーマンにしろレディーガガにしろ実在文化で、表現者と消費者の区別がはっきりしています。

対して日本は非実在文化と言えます。人形浄瑠璃や歌舞伎の女形、織田信長が自身も演じたとされる能「敦盛」など。近年では初音ミクをはじめとする二次創作の文化が注目されています。 これらに共通するのは対象のキャラクターが非実在なため、誰が演じようが自由で主体と客体があいまいであることです。

考察

以上をベースとして、当時の日本人の価値観を説明してみます。

テーマは共生です。

神道

(どうでもいいですが、「神道(シントウ)は濁りと穢れを忌む」からシンドウとは読まないそうです。。)

日本は自然災害の多い国と言えるでしょう。

周りが海であることによる津波や潮の満ち干き、プレートをまたいでいて地震も多く、活火山もたくさんある。 また四季があるため一年を通して様々な自然現象が起きる。

こういった環境で、日本人は自然に恐怖しつつも共生するという姿勢を取る必要があり、それによって八百万の神を崇拝対象とする神道が生まれたのではないでしょうか。

そう考えると、絵の中に自分が入れること、主体と客体が入れ替わることも腑に落ちます。

全体主義・村社会

自然と共生するにあたって周囲の人間と協力することもまた重要です。自然の変化は個人で対応できる範囲を超えているからです。

また、自然と共に生きる、あるいは生かされているため「俺が俺が!」という姿勢が薄く、自然においての自分たちのあるべき姿を守ろうという姿勢が強かったのではと思います。

そのため、個よりも全体を感じる絵になったり、表現者が個人の権利を主張するよりも全体で楽しむといった点に注力されて二次創作が流行ったりしたのではないか。

また、その思想は全体主義にも繋がりそうです。集団の規律から外れる者には厳しかったり、国のためなら個を犠牲にするといった価値観であったり。

まとめ

日本は良くも悪くも社会主義的な文化が残っているから、文明開化後の西洋文化の流入を受けてもある程度独自性を持っているのではないかなと。

ただそういった文化は言語外の部分なので、西洋的な価値観に染まっている若者からするとチグハグで息苦しい国に思えるかもしれません。

Comments