一次情報というのはどういうものかと、報道の怠惰について。
一次情報とは?
報道する際によく言われる(であろう)こととして、
- 一次情報はどこか?
- ソースは正しいのか?
ということが挙げられる。
簡単に言うと、 前者は、現場のリアルタイムの動画や体験が、 後者は、政府や研究機関など、ある種公的な機関からの発表が挙げられるだろう。
一次情報は真実か?
報道において、一次情報を流すことは真実を伝えることとは異なる。 恣意的に一部の事実を切り取っているだけだ。
たしかに、警察の発表や現場の中継をそのまま伝えれば、「間違っている」などと言われる心配はないしコンテンツを作るのも簡単ではある。 報道の使命を果たしている感もあるかもしれない。
ただ、その影には「報道されなかった現場」や、「取り上げなかった意見・発表」が必ずある。 どんなにありのままを報道しても、報道するという行為が間に挟まった時点でスクリーニングされ、 全ての情報は二次情報になる。
極論を言えば、
- その動画は改変されていないか?
- 公式の発表と同じニュアンスになっているか?
- 取り上げなかった部分に重要なところがないか?
- 本当に本人の発言か?
などを確かめなくては一次情報とは言えないんだろう。
どうすれば正しい情報を得られる?
そして、報道されたそれらの情報について、 それが正しい情報か、改変されていないかを厳密に調べようと思ったら現場に行って当人に聞く、様子を体験するしかない。
しかし普通はそんなコストはかけていられないので、おとなしく報道を信用することになる。 つまり、全ての情報コストは、「その発信源を信用できるかどうか」にかかっている。
報道のあり方は?
先に述べたように、報道には真実を伝えることはできない。公平な報道もできない。 恣意的に切り取った情報を伝えるだけだ。
そのことを自覚した上で、「なぜこの事実を伝えるのか?」「どういったことを知らせたいのか」を改めて確認する必要があるのではないか。