コンテンツ産業(人気の出るコンテンツとは?)

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今日は、良いコンテンツとはなんぞや? という話。

と、その前に、以前披露した 「ゆとり推進」からの「コンテンツ国家」へ、という指針の 地理的な考察も併せて。

以前より(震災以降特に)一部のIT系従事者らから 「日本はコンテンツ国家たるべき」 という話が出てきてます。

ちょうどこの間、ドワンゴの川上会長と東浩紀の対談を見たのですが、 二人とも「日本でモノづくりはもはや難しい」という認識でした。

その理由として地理的要因を東さんが挙げていたのですが、

  • 地震が多い
  • 土地が高い(日本が廃れれば安くなります^^;)
  • 活火山が多い
  • 孤島
  • 平地が少ない、川が多い

などなど、 震災もあったし、大型の台風もしょっちゅうくる事から

「そもそも日本って人が住むのに適してないんじゃないの?」

という話から始まり、 地震や川の決壊などへの備えにかなりコストがかかる時点で、 ビジネスをする上ではかなり不利なんじゃないの?

という問題提起をしていました。 (成田空港なんかもアクセス悪いし)

その上で、やはり今後は「コンテンツ国家」になるべきだろう という話なのですが それらを世界に発信しよう! と思った時に、

『じゃぁ、世界に発信するコンテンツってどんなものが良いの?』

という問いが出てきました。

 ※コンテンツとは、文化・芸術の全般的なものだという私的見解です。   例えば、映画やマンガ・絵画なんかもそうですし、   書籍・雑誌・グッズの類も広義のコンテンツだと思います。   まぁ、エンタメ系の全てのモノです。

たしかに、日本で流行るコンテンツと世界にウケるコンテンツは異なりそうです。

そこで、二人の議論で出てきた一つの指標として

『そのコンテンツが、ハイコンテクストかどうかではないか?』

で測れそうだ、という話が。

ハイコンテクストとは、まぁ言葉で説明しづらいのですが、 コンテンツを楽しむもの同士で「共通認識」がある、ということだと思います。

たとえば、昔の『浮世絵』なんてのはエラく 『ハイコンテクスト』なコンテンツだったようです。

「あの舞台のあの場面をあの俳優が演じているところを  あの絵師が描いた。」

なんていうお互いの共有情報があって初めて価値があるものらしいです。

ちなみに、現在浮世絵と言うと「東洲斎写楽」が有名ですが、 彼の絵は、当時はそんなに評価されていなかったらしい、 と東さんがいってました。

それが、何故今では有名になっているのかというと、 海外の人らが、浮世絵についての共有知識がなくても魅力を感じるような、 絵単体として優れているような作品だったからじゃないか、 という議論を展開してました。

この視点はなかなか興味深かったです。

学生のころに、男子でわいわい騒いでるときは楽しかったけど 女子や知らない人と話すとあまり盛り上がらないのは共有しているものが少ないから ハイコンテクストな文化が生まれないからなんだよ。  とか、いろいろ話してました。

ようはマニアックなやつらだけで楽しんでるような オタク文化みたいなもんなんじゃないか、とかね。

 個人的には、クラシックやワイン・絵画なんかも  ハイコンテクストなモノだと思っています。  作品単体ではそこまで価値を見出せないじゃないですか。  まぁ 余談ですが。

では、単純にローコンテクストなもの (事前知識なしで作品として優れているもの) が継承されやすいかと言ったらそうでもないところが難しい。

例えば、『源氏物語』って、 今で言う腐女子向けの同人誌みたいなもんだったという説があります。 僕も同感なのですが、あれは当時は格調高いコンテンツじゃなかったと思うんです。

それが今でも継承されて認められているのは、 二次創作されていったからなのではないか、という説もあります。

当時はコピーなどは無く、全て写経(手で書き写す)してました。 その過程で、各々の好きなようにキャラ設定を変えていったり、 創作していった、というのは有名な話です。

要は、その時の流行りにあったものを生み出せていったからずっと継承されて 今まで残ってきたんではないか?ということです。

今のニコニコ動画なんかもまさにその視点でもって、 『クリエイタ―奨励プログラム』とかやってますよね。

さて、だいぶまとまりがなくなってきましたが、 まとめると、

文化・コンテンツ国家としていくとしたら、 自分達の好きなモノだけつくっていると どんどんハイコンテクストなものになっていき 国内のオタクだけで消費されて終わりになってしまう可能性もあるので もっと広く考えなくてはいけないかもね。

という話でした。

絶望な国の幸福な若者たち

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絶望の国の幸福な若者たち

※僕はまだ、この本読んでません。 あくまで、タイトルからの妄想です。

このタイトル、かなり的を得てると思いませんか?

今、僕は東京の私立大学に通ってるんですが おなじ若者として、今の若者たちを見てると幸せそうだもん。

過程が裕福なのが多いので経済的には豊かですし、 インフラや治安の環境もトップクラスに良いです。

親がいるのでモノや金は溢れてるし、 レジャーやエンタメ系の施設なんていくらでもあるし、 好きな時に好きな子とコミュニケーション出来るし、 若者(特に女の子)は社会からちやほやされるし、

若者から見たら、現状の日本は幸せな国ですよ。 だって良い面しか経験してないもん。

・・・というよりも、悪い面は気にしないように教育されてきた。 というべきでしょうか。

若者(ここでは学生という括りにします)もバカではないので、 日本の現状が客観的に見てヤバイのは知識としては分かってると思います。 色んなデータや専門家の意見を集約しても、 日本が復活する可能性は極めて低いと思います。

ただ、経験がないから実感として理解できない。 また、大人が焦らないので『なんとかなるっしょ』と思ってるんじゃないですか?

人によっては、「30年ごとに景気の波がくるからそろそろ良くなるよ」 なんて戯言をまだ信じているかもしれません。 「円高になってるし、他の国よりましなんじゃん?」 とかかも。

今までの教育が全て与えてくれる教育、レールを敷いてくれる教育だったので、 日本の若者は『ヤバイ』と知りつつもどうしていいかわからないと思うんです。 とりあえずレールのっとけばしばらくは安全だろう。 と思ってしまうんだと思います。

また、親も『現状ヤバイ』とは知りつつ、自分達は過去の 高度経済成長期(バブル)に成功してきた経験があるから、 それを子にも強制しようとします。 社会のシステムも、未だにそうした固定観念が蔓延してます。

しかし、今のまま育てたって、経済が委縮して雇用が減ってるのは自明だし 老人と借金はどんどん増えて税負担は重くなるし、 優秀な人は海外に行ける環境なのでどんどん流出していくし、 あげくこのあいだの震災で東電や政府はボロボロになったし、 今のままのシステムで廻るわけないんです。

いつ爆発してもおかしくない時限爆弾がもうあるんです。

こんな状況なのに、

ジジイは、自分達が生きている間だけ無事に過ぎればいいや、と 時限爆弾をより巨大化させて次の世代に回してくるし、

大人たちは、高度経済成長期で楽に生きてこれてたので、 現在の時代の変化についていく方法がわからずない。 ジジイに聞こうにも、その場しのぎの案しかで出ず、 社会の仕組みを変える力もないので 時限爆弾をもってウロウロしてるだけ。

そして若者は、知識としてやばいのは知ってるけど 感覚として理解できないような教育をされてきていて、 気付いたら時限爆弾を『何だコレ?』と思いながら持っている。

こんな構図じゃないかと思います。

ちなみに、 『あなたはどんな時幸せですか?』という質問に対し、 趣味をしているとき 友達と一緒にいる時 今の暮らしができること

なんて答えが返ってくるそうです。

今のままの経済状態では、また、こんな現状維持の姿勢では、 今の暮らしが維持できないことはわかりきってるんです。

趣味に没頭できる、ってのは今だけです。 「プライベートを充実させたい」ってみんなが言い出したら まぁ、早いうちに経済は破綻するんじゃないですかね?

若者は、これからを楽しむために、 もうちょい今を真剣に考えてみたらどうでしょうか?

ワーキングプアと生活保護

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ニコ生×BLOGOS 第6回​ 「チョコと格差と貧困問題」 を見ての感想。

ただ、PCでメモってたのですが、バッテリ切れてしまい メモが無くなってしまいました^^;

ここから学ぶべき教訓は、メモはEvernoteで取れってことですね 貝木さんw

なんとなくで短く書きます。

主に貧困問題について。 現代の社会構造は歪みまくってる!ってことへの憤りがあったり なかなか重めの内容でした。

あと、赤木さんが冒頭で「チョコなんて気にしてない」アピールが面白かったです。

さて、本題。

現代の日本の貧困層への対応が『生活保護』しかないのが 問題だと言っています。

また、非正規社員への首切りが進む一方、 正社員は時間外労働を多く強いられている現実があります。

就職人気企業の6割が過労死基準超え 225社の36協定で判明 トップは大日本印刷の時間外1920時間

最近では、ワタミで労災自殺認定された女性がいましたよね。

なぜ、このような不均衡が生じるのか、ひとえに企業が弱体化してるからだと思います。

大手会社だけ、とはいいませんが、人件費に割くお金はなるべく少なくしたいのです。 また、終身雇用は時代遅れとはいえ、正社員を擁護する精神は根強く残っています。

その結果、お金がないから、手当の出ない時間外労働や、安い人件費の非正社員を使い、 それでも廻らなければ正社員を切ると体裁が悪いので、派遣社員を切る!ということです。

いわゆるワーキングプアが増えるのも分かります。

これの是正は難しいのですが、議論を聞いている限りだと、 経済の回復以外には、政府がある程度の強制力を発動しなければいけないのかな、と。

売上の一部をキチンと労働者に還元できる仕組み作りをしなければいけません。 これは各企業の自主性に任せていては進まないので、トップダウンで推し進める方が良かろう。 という議論でした。

また別の議題。 生活保護の問題です。

これに関しては、社会的弱者を救う方法が『生活保護』 という括りしかないのが問題だと言っています。

もっと重層的なセーフティネット、 例えば、失業手当・病気の手当て・年金が入らない人への手当  などなど。 (例がてきとうでスイマセン^^;詳しくはニコ生見てください。)

また、その保護が手厚いため、「働くより良いやw」と思っている人もいるのではないかと思います。 いわゆる『働いたら負けかなと思ってる』やつらですよ。

正直言うと、僕個人としては、仕事はいくらでもあると思っていて、

なのに失業率が高いのはひとえに選り好みしているからだと思います・ 『この仕事するくらいなら生活保護でいいや』という思考回路に なってしまっているのではないかと思うわけです。

他にも、社会保障がそもそもお金を払ってる人でないと受けれないのはオカシイとか、 消費税増税より高所得や貯蓄に対して課税すべきだ。とか なんで1万円支給で、格差が是正できると思ってんだばかやろう!

みたいな面白い議論が展開されてました。

難しいのが、どうすればいいのか大まかに結論がわかっているのに、 政府が常にそれと反対の施策を進めているということです。 そんな政府が信用できないから、税金未納とか、 様々な問題が浮上してきているようにも感じます。

僕らが選んだ政治家はどうしてこんなにも頓珍漢なのでしょうか? 民度が低いから?

長くなったのでこのへんで。

ブログの反省と、朝生を見ての感想

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2/25放送の『朝まで生テレビ』を見ました。

リアルタイムで見れたら良かったんですが、 まぁ、あとからでも見る方法はあるんで^^;

最近就活もしないでこんなんばっかり見ちゃってるんですが、 やっぱり駄目ですよね。

よく考えたら、こういうの見てると気が楽なんですよ。

自分のコト考えなくていいし、 世の中批判みたいなことしてれば自分を正当化できるし、 人の討論眺めるだけだから考えなくていいし、 その割に頭使ってる気がするから、他より効率よく学べてると錯覚するし、 なんか本質つかんでる気になっちゃうし。

でも、地に足ついてないからカッコ悪いなと。

それに、ますますメンドクサイ奴(ウザい奴^^;)になるのは間違いないので ちょっと自粛します。

そりゃー、こんな理屈っぽいインテリぶっててウルサイ奴じゃ 相手すんのめんどくせぇな、と自分でも思います。

なぜか週末読者も増えてくれて嬉しいので、もうちょい読者目線の記事にします。

とはいえ、ブログの趣旨が『自分の思考整理』なので、 そこはご了承ください。 (てか、こんなん人に読まれるのなかなか恥ずかしいですね)

え~と、^^;

朝生の感想を書こうと思ってたんですが、 上の個人的な反省と別の記事にしたいので、明日書きます。

ここでは、各パネリストの感想を偉そうに語ってみたり。 「わかってない!」などあればコメント下さい。

司会: 田原 総一朗

司会に向いてないんじゃ・・ 人の話遮りすぎ、話飛びすぎ、 何を目的に議論してんのかわかんない。 個人的に好きなんだけどね。

 パネリスト: #### 東浩紀(早稲田大学教授、40) 考え方はほとんど同意。 ただ、言葉が伝わりにくいのと 感情的になりすぎて他と衝突しやすい。

井戸実(エムグラントフードサービス代表、34)

やり手だなぁ、という印象。 考え方は正しいが、強者の考え方 ってカンジ。

猪子寿之(チームラボ代表取締役社長、34)

超楽しいw 突拍子もないように見えるけど合理的。 ただ、日本のジジイたちには通じないんだろうなぁ

荻上チキ(評論家、「シノドスジャーナル」編集長、30)

論客。 話は上手いし分析も正しいんだけど、 自分の意見を言いたいだけな感じ。 議論じゃなくない?

熊谷俊人(千葉市長、34)

しっかりしていました。 等身大で現状把握がしっかりできているかなと。

宋文洲(経済評論家、ソフトブレーン創業者、48)

ちょっと過激。 おおかた正しいんだけど、こちらも強者の思考。

高橋麻帆(ピースボート災害ボランティアセンター、32)

よくわかんない。 印象薄め

千葉麗子(実業家、元女優、37)

個人的にあまり関わりたくないタイプ。 かなり我が強く、こちらも言いたいこといいっぱなしな感。 津田さんが、『千葉麗子 谷間』ってツイートしててワロタ。

夏野剛(慶応大学特別招聘教授<政策メディア研究>、46)

ニコニコ信者なので、ひろゆきとか川上会長とか夏野さんとか大好き。 話の内容もとても冷静でしっかりしていた印象。 「人事なんて、その会社で即戦力になれねぇ奴がやってんだよ!」 には苦笑いした。

古市憲寿(東京大学大学院博士課程、27)

『絶望な国の幸福な若者たち』の著者。 一番若いだけあって、現代の若者の感情の汲み取りが的確なんじゃないかなぁ という印象。 議論への無気力感も面白かった。

プレゼンの難しさ(自己PR)

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前回の続きです。

今回は自己PRについて。

各チームの製品プレゼンが終わった後に、 『個人がそのグループ内でどのような貢献をしたのか、何を考え行動したのか』 ということをアピールする時間があったのですが、

短い時間で自分の貢献度や意識したことを話すのはとても難しかったです。 そして、聞いて判断する方も、一応評価の観点は6つ与えられていたのですが、 その観点が言葉で表現できるような内容でなく、実際の行動を見てみないと わからないようなものばかりだったので、評価が非常に難しかったです。

例えば、成果(製品企画・プレゼン)で判断しようにも、個々人の貢献度なんて 外部からわかるものでもなければ、グループ内でも 「彼(彼女)はこれだけ貢献した。」 ってのは分かりにくいと思います。

また、個人がどんな思考をしたのか なんて言葉で説明できるもんじゃないと思います。

評価観点として、 ・ゼロベースで思考できたか。 ・人やモノ、時間のせいにしていないか。

なんかがあったのですが、 みんながみんな 「ゼロベースで考えられたと思います。」 「自分以外のせいにはしていません。」

なんて薄っぺらいことしか言わないわけです。

すっごいつまんなかった^^;

自己PRってそんなもんじゃねぇだろう!と。

なので、どうすれば良かったんだろう?と自分なりに考えてみました。

何より先に、自己PRの時間しか自分を表現できないと 思ってんのが間違いじゃないかと。

自分で言うのも何ですが、当日僕は悪目立ちしてたかと思います。 製品や個人に、応えづらい質問しまくってました。

まぁ、別にアピールしたいからってわけじゃなく 純粋に聞いてみたかったから質問してたんですが、 結果としてそこでも自分を表現できたかなと思ってます。

まず、発表に具体性がないのはキビシイです。 同じグループの人にも言ったんですが、 やはり人に伝えるときに 「自分は頑張りました!」だけ言う人と 「自分はこういうところを頑張りました! その結果こうなりました」 みたいな具体的なアウトプットを教えてほしいです。

次に、言葉のチョイスです。

ぶっちゃけて言うと、上記のように 「ゼロベースで考えられたと思います」 なんてテンプレ通りのアピールをする時点で、 ゼロベースの柔軟性なんてないと感じるし、 論理性や相手に伝えようと考えることが足りないんじゃないかな? と思ってしまいます。 (だいぶ毒舌になってしまいました^^;  もし該当者がいたら、気を悪くしないでください  聞いてる側はこう思った。という視点を知れた、  と前向きに考えてもらえれば幸いです。)

「人のせいにしてません」も同様で、 そんな言葉だけで表現できる、と思ってるのが問題だと思います。

具体例など、「こういうジレンマがあったんですが、こう考えて行動しました」 など、言葉を選ばなければ伝わりません。

成果にこだわらなければそんな気持ちが生まれないのも当然ですし、 自分が貢献できていないと自覚してしまえば人のせいにするどころか 頼りっぱなしになってしまいます。

ちょっとズレましたが、自己アピールも、表向きの言葉だけで伝えるのではなく、 その言葉を聞いた側はどう考えるんだろう?と考えた上で話さなくてはいけないなぁ、

と感じました。

プレゼンの難しさ(製品紹介)

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プレゼンの難しさ

インターン先で感じた、『プレゼンテーションの難しさ』について考えてみました。 ちなみに、ここでいうプレゼンは、一対多数でのセールストークとします。

そもそもプレゼンは、表現方法は伝えたい相手、伝える内容によって 変化するので、今回は具体例を用いて書きたいと思います。

インターン先で実際に行ったのは、 ・自分たちが企画立案した製品の魅力を伝えるプレゼン ・他人に評価してもらうための自己PR

の二つでした。

まず前者から。 発表手法がチームによってイロイロあって、とても楽しく見させてもらったのですが、 前提として ・学生(インターン仲間)相手のプレゼンである ・他のインターン仲間も同じ課題をしている。(企画立案・プレゼン)

ということが挙げられるかなと。

社員さんのレビューで気付かせていただいたのですが、

『学生相手に発表するなら、学生が共感を得られやすいようにするべき』

との指摘を頂きました。

例えば、 『楽しく表現する』 学生なので、ビジネス視点での厳格な一部の隙のないプレゼンより、 実演を交え、楽しくわかりやすく表現した方が共感してもらいやすいのではないか。 と思います。

『具体例を想起させる。』 単なる機能説明で、「あぁ、こういう意図で機能つけてるのね」と分かる方ならいいのですが 少し表現を具体的にしないと学生相手の場合、 イメージがつきにくい・機能搭載の背景がピンとこない。 などあるかと思います。 なので、キチンと使用前の不便な状態をイメージさせて、 その上でこの製品があればこう変わりますよ。 とわかりやすく表現する事が肝要です。

さらに、『みんなが同じ課題に取り組んでいる』といことは、 各々自分のチームの製品に自信とそれに至る思考の根拠を持っているわけです。

そんな中で自分たちの製品をアピールするには、 聞き手の考えている「ウチの製品の方が考え抜かれている」という点を払拭しなければいけません。 ただ機能の説明をするだけではなく、そこに至った経緯をわかりやすく 且つ、聞き手なりの思考プロセスに準拠して、さらに上の考察を表現しないと、 納得してもらえません。

例えば、議論のスタート地点が違うと、聞き手は 「私たちとちがうスタート設定なんて、コイツラわかってないな」 と思考をシャットダウンしかねません。

それでは、せっかくの話し手の思考プロセスを曲解しかねないので、 まず聞き手の思考に準拠して、 「まずは皆さんこう考えますよね」 などと共感を得たうえで、さらにレベルの高い論理を説明すると、 納得してもらいやすいのではないかな、と思っております。

個人的にもったいないなー、と思った例として

決勝のあるグループの発表で、プレゼンターでものすごい饒舌な方がいて (ジャパネットたかた、の異名が付いたそうですw)

プレゼン自体のスキルは高いなーと思ったのですが、これは学生向けにするプレゼンではないのかな?と。 インターンに参加している人は大方モチベーションが高く負けず嫌いです。 そんな中でこんな達者な人が喋り、質問にもスキなく答えてる姿勢は頼もしいのですが どうしても僕らの心理としては、共感するよりも 「こんな上手いやつ癪にさわるな。」とか 「プレゼン能力だけで製品自体たいしたことないんじゃないの?」 「きっとどこかに欠点があるはずだ」とあらさがししたり、 とか、マイナスの評価に繋がりやすいんじゃないかと。

もっと素朴なプレゼンの方が個人的には好印象です。

次回は自己PRについての難しさを書きます。

GD振り返り

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※過去記事です

インターンでのグループディスカッションの振り返り。

今、短期でとある企業のインターンに参加してます。

そこで今日まで、グループで新規企画の立案の 真似事のようなコトをしていたのですが、その中で思ったコトをいくつか。

まず、そこでのGDを進めるにあたって、 とあるターゲットに合ったアプリケーションの企画立案をしろ。 というお題だったのですが、

前提として、

  • ほとんどの学生にとって知識の乏しい分野
  • インターネットに接続できない

という環境の中で企画立案をしろ!ということだったです。

つまり言えば、データを集めての客観的な分析はいいから、 如何にゼロから理論を構築出来るか、という力が求められていて、 具体的なデータがない時点で、どんなに議論を進めても 「なんか売れそう。」というあいまいなところまでしかいかないわけです。

同様に話す時も、話し手の主観入りまくり・客観的データなしなので 聴き手に「僕はそうは思わないな~」と言われたら言い返す手段がないです。

そこで、 如何に相手に納得感のある提案を出来るか、客観性の高い考察を導けるか というところですが、難しかったですね><

グループで議論を進めていく上で感じたことをいくつか。

共有してる前提知識が少ない。

こんな中でなにを議論しても、根本の理解度の一致が取れていないケースが多々あります。 その場合の意見の統一が非常に難しいこと。

納得しないわけではありませんが、むりやり納得しておいて進まなければいけない場合もあるかと思います。 だって、自分が固執してる考えが客観的に正しくない(なかった)場合を考えてしまうから。

根本を聞かれると困る。

  • 『その機能本当に必要なの?』
  • 『消費者は本当にそこに問題を抱えてるの?』

と。そんなのわかるわけないです。^^;

いや、厳密に言えば、「今まで生きてきた経験から判断すると 80%くらいの精度をもって言えるよ!」くらいが精一杯なわけです。

そこで、ドヤ顔で残りの20%をつつかれると、 そこはわかるわけないじゃんかと。

本当に売れるの?と聞かれて100%売れることがわかるならもう売ってます。 それに、客観的なデータがない時点で100%は不可能です。 (まぁ客観的なデータがあっても、精度が増すだけで100%にはならんのですが・・・)

そのあやふやな中で、どんだけ顧客をを言いくるめられるかを議論しなければならないのに、 したり顏で根本をつつく奴はめんどくさいです。

いや、モチロン根本をしっかりつめることは大切です。 自分たちの中で納得できていないのを納得させられるわけがありません。

しかし、根本の質問をするだけならだれでもできるし、 一般にその質問をする人は自分で代案や考察を持っていない場合が多いです。 『質問だけなら誰でもできるわい!』と思ってしまいます。

そうではなくて、自分なりの考えも付随した上での 根本の投げかけは非常に有効です。

例えば、

  • 『ここまでは理解できたけど、ココとココの繋がりがわからん』
  • 『ココってこういう認識で話してたけどみんなは違うの?』

とか。

自分が理解できていない・納得できていない部分を明確に話してくれたら、 そこへの理論の強化はできると思います。

(まぁ、それができたら苦労しないんですが・・・)

これからのマスメディア

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明日のコミュニケーション 「関与する生活者」に愛される方法 (アスキー新書)

久々メディアの話です。

今回は、ソーシャルメディアを受けてのマスメディアのこれからについて、 上記の『さとなお』さんの本を読んでの感想も込みで書きたいと思います。

まず、みなさん実感あるのかわかりませんが、

今なぜ、マスメディアがパッシングされてるのか?

というところから考えてみたいと思います。

コトの発端は、インターネットの普及による 『情報革命』が起きたことからはじまります。

これにより、今までと比べ圧倒的に情報量が増加していきました。 (当社比数十倍です!)

これによって、今までの情報のさばき方では間に合わないため、 消費者は情報の取捨選択をするようになります。

ここで、一般消費者は、マスメディアが行ってきたような 『注意呼びかけ型』の情報よりも、 知り合いからのレコメンドの情報の方が価値がある、とみなすようになってきました。

また、違う側面からのアプローチとして、 『高度経済成長の終わり』を迎えると同時に、 消費者は物質的な豊かさの限界を感じ始めます。

それよりも、古来から人間が培ってきた、『人との繋がり』 が生活をより豊かにするのもではないか?と意識が変わっていきました。

マスメディア全盛時代は「いかに気を引くか」。誇張表現でも過激でもなんでもいい。気を引ければ勝ち。 ソーシャルメディア時代は、情報が筒抜け。誇張表現はバレる。また、情報を隠しても信用されない。正直に、まっとうに、等身大でアピールするしかない。

ただ、マスメディアの良いところも多い。

  • ソーシャルグラフ関係なくマスでつながり、情報を共有することが可能。
  • 報道に関しては、圧倒的に取材力、信頼が厚い。

よって、

今後のマスメディアの在り方。

今後の広告戦略。

突飛な広告をぶつける。 重要なのが、従来のような自己主張激しい、『誇張表現』ではなく、 「なんだこれ?」と思わせるような、キチガイじみているのが受けそうだ。

例)

  • 一本満足バー
  • せんとくん

報道に関して

媒体を一つに固執してしまうのはもったいない。 発信したい内容があるなら各々使い分けるべき。

そして、記者クラブ問題だ、東電や電通との癒着だなんだといわれて 「今や記事は事実ではあるけど真実ではない。  まして社説なぞ読みたくもない。」 みたいな人も多いんじゃないかと思っていて信頼性がうすれてきている今日、

信頼性を企業、母体に持たせるのではなく、 記者個々人に持たせるというのが良いのではないかと。

長所を活かして時代に合わせるという意味では、 共感しやすい個人や、取材過程や姿勢も含めていくのが良いのではないか?

そういった個人が伸び伸び取材できるように、 彼らの考えを広く発信できるように、 母体として取材力・発信力の担保をしていくのが理想なんじゃないかな と思います。

匂い

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今日のは簡潔に。

今日は、家族の誕生日プレゼントを買いました。 中身は、アロマとかそんなんです。

理由は、

  • 財布に優しいもの
  • 大抵の小物、アクセサリーはこだわりのものを既に持っておられる。
  • 食べ物系はケーキや食事で、既に十分である。

というところから、 「普段使わないけど、あったらちょっと生活が豊かになるもの」 ってことで探してました。

その結果、アロマということになったのですが、そこで

『ニオイ』って不思議だなぁ なんて思ったり。

理系なりの予備知識+憶測

ニオイを感じるってことは、何かしらかの物質が、 ニオイの対象から鼻まで運ばれているわけです。

以前これを考えた時は、 「じゃぁ食べ物のニオイを感じるってことは、  食べ物の一部が崩れて、鼻まで届くってこと?  ずっと嗅いでいると、だんだん食べ物が減ってくのかな?」

とか、最悪な例で行くと、 (以下閲覧注意! 汚いので白字で書かせていただきました。)

う〇このニオイを感じるってことは、う〇この一部が鼻に飛んできてるんじゃないか。

なんてことを考えてました。

たしか、そのとき調べた結果が、

  • 『鼻は、粘膜にニオイ成分を溶かして、ニオイを感知する』
  • 『ニオイ成分は、ニオイの元から気化したものである。  必ずしもニオイの元と同じ分子ではない』

例えば、「これはバナナのにおいだ」 とかわかるわけですが、 バナナ分子が飛んでくるのではなくて、 バナナに含まれる成分のうち気化するもの、且つニオイのあるもの (例えば、〇〇酸・△△化物・□□ナトリウム塩) とかそんな感じですよね。

気温が上がるとニオイを感じやすくなるのも、 ニオイ物質が気化しやすくなるからです。

また、『ニオイが出続けると質量が減る』も おそらく正しいと思います。 (まぁ、ごく微量でしょう。 一定時間以上放置するとニオイが出なくなるものと思われます。)

ここから思ったこと

上記のバナナの例の感じで、ニオイって人工的に生成できるんじゃないかと。

既に研究されてるんだと思いますが、 人工的に『良いニオイ』を作って香水にしたり、

また、ネットに繋いでその状況にマッチしたニオイを作り出す。 (ラーメン屋のWebサイトを見たらそこのラーメンのニオイが嗅げる、とか)

『ニオイ』ビジネスとか出てきそうな気がしました。 以上です。 ふつうの内容ですいません。

良い音楽とは(私的見解)

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今日のはいつも以上に主観だらけの記事になるかと思いますので、あらかじめご了承ください。

また、あくまで音楽シロウトの一大学生の考えなので、 「全然わかってない!」とか怒られても困ります。 音楽に真剣に関わっている方は、大人な対応をして頂くか、 そもそも読まないことをオススメします。^^;

さんざん予防線を張った上でですが、

良い音楽とは

個人的に大事な点が二つ。

伝えたい、という気持ち自体が伝わること

その曲を歌って・演奏するコトで、何かを視聴者に伝えたい、と思うコト。 それがキチンと体現されてること。

例えば、ボーカルが熱唱してるとやはりグッときやすいです。 また、演奏も一心不乱に演奏してるのは好きです。 逆にスカしてる輩は嫌いです。

わかりやすいコト

曲が表現してるモノ・歌詞が表してる世界観・何を表現したいのかがわかりやすいコト。

個人的に、クラシックとかのたぐいの、 前知識がないと聞いてもわからない系の曲はニガテです。

また、自己満足な表現も嫌いです。 いかに、始めて聞く人でも理解できる表現を出来るかが大事です。 変拍子系やテクニック系も、だいたいこの部類に入っちゃうんじゃないかな~ と思ってます。

大きくはこの二つですが、 そこから付随する要素として、

口ずさみやすいこと。

理解しやすいことの証明です。 シンプルな方がかっこいいと思ってしまいます。

共感できること。

わかりやすい表現の上で、自分の考え方と近しいモノ

リズムがしっかりしてること

音楽、という表現を使ってる以上、個人的に重視したい点であります。 これがないと、どうしても自己満な表現になりやすいと思ってますので。 (ギャラガー兄弟も、 「Rockだけじゃダメだ、&Rollできなきゃ。」 とかいってた気がするし。)

楽しそうに演奏してるモノ

やっぱこれに限りますね。 ダルそうに演奏してたり、自分の見た目を気にしてるのは、見てて快くはないです。 ジャズの元々の発祥は、白人に虐げられた黒人の娯楽として生まれました。 そこに表現や芸術などはないかもしれないけど、楽しむコトが音楽の原点です。

まぁ、人に聞かせる演奏をする場合は、自己満足なだけではダメで、 キチンと何かを表現し伝えるべきだと思いますが。

前向きであること。

ROCKは反社会的、などと言われますが、 現状を批判して、「今の日本はもうおしまいだ!」 とか騒ぐだけではカッコ悪いです。 「俺らならこうしてやるぜ!」みたいな気骨が欲しいです。

こんなところでしょうか。

それらを踏まえての僕の大好きなバンドは、 モチロン THEイナズマ戦隊」です!

まず、演奏は上手いです。 ギターのフレーズとかもカッコイイけど、 過度な自己主張をせず、良いカンジに曲と合ってます

リズムも良いカンジです。

また、歌詞がステキで、時々すごくアホなフレーズもあったり、 今の時代って大変だよなぁ、などとボヤいたりもあるんですが、 必ず最後は元気づけてくれます。

  • 「こんなどうしょうもない世の中やけど、やるしかないやんけ!」
  • 「せっかくなら楽しく生きてやろうぜ!」

そういった前向きな言葉で溢れてます。

なにより、みんな楽しそうに演奏してます。 売れない30代のロックバンドだけど、いつも楽しそうです。 ボーカルのジョウヤさんも楽しそうに、且つ一生懸命歌っていて、 なりふり構わないカンジが最高です!

詳しく聴きたい方は、個別で連絡とってくださいな!!^^

コメント

一人目

プロとして一言言わせていただくと、俺はやりたいからやってる。 聴く人は二の次。 もちろんスカしたりしない。 いつだって全身全霊。

二人目

個人的には、一般に「良い音楽」と認知される一番重要な条件に 「印象に残りやすい(≒一度聞いただけでも印象に残り、頭の中でメロディを再生できる)」があると思ってる。 なぜなら、「良い音楽」とされる音楽は殆ど例外なく印象に残り、「良くない音楽」とされる音楽は逆に印象に残らないから。

この考えのもと、「分かりやすい」「口ずさみやすい」「共感できる」…は皆「印象に残りやすい」を達成するためのステータスと捉えることができると思う。

これは音楽だけに限らず、美術なら「印象に残りやすい(≒二度目に見た時に、「あ、見たことある」と思える)」、本なら「印象に残りやすい(≒読み終わった時に、精神的に訴えるものがあった)」と言い換えることが出来て汎用性もあると思う。