プライドは捨てるべき?

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プライドは捨てたら終わりとか捨てろとか言うけど実際のところどうなの?

さて、今回はこの記事からの着想です。 余談ですが、2ちゃんとかって、色んな人の意見聴けるから 答えのないテーマを考えるときは非常に参考になります。 (答えのあるものについては信憑性がどうとか言われちゃうけどね^^;)

さて、本題。

「プライドは捨てたら終わりとか捨てろとか言うけど、 実際のところどうなのよ?」

こんな内容は最近よく耳にします。 「余計なプライドは捨てた方が良い」 「プライドは捨てたら終わり」 などと相反する記事もよく見かけます。

でも、なんか違和感を感じるんです。 『余計な』と頭につくプライドと、 職人さんとかが持ってるプライドって全く別物な気がするんですよ。

そこで、プライドをググってみました。

プライド:『誇り。自尊心。自負心。』 (yahoo辞書)

ん~? なんかピンとこない。 個人的に、プライド=矜持と思ってるので 『矜持』で調べてみます。 (ハガレンの影響なの?でもみんなそう思ってるよね?)

矜持:『自信と誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。』 (大辞林)

これ! こんなイメージだよ!! (抽象的かつ独断的ですいません・・・^^;)

つまり、堂々とふるまえるくらい誇りを持つことであって、 他人にちょっと言われてグラつくような いわゆる『余計なプライド』と言われてるものは 俺から言わせれば『プライド』ですらないってことです。

一般に、 プライドが高い=人の意見を聞かない なんて図式が浸透してんじゃないかと思ってるんですが、 本当にプライドがある人は、 誇り・自信があるゆえに、相手の考え・価値観を受け入れる余裕がある人 なんだと思います。

『目的を持っているかどうか』というのも大事な点だったのですが、 長くなるので省略。

(もしかしたら、『以前に似た考え方を聞いたことある』なんて人もいるかもしれません。僕だけが辿り着いた!なんて自惚れはないので^^;

が、僕なりに考えた僕の意見だと思っています。そこには矜持があるので、色々とコメントなど頂きたいです。)

社会人のマナー(笑)

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なんか以前メモってた記事を見つけました。

何があったかあんまり覚えてないけど、 とりあえず腹を立ててたようです^^;

以下、自分の記事なのですが、 『以前の俺ってツンツンしてたな~』 『おっさんの苦労も知らないで偉そうなこと言ってたな~』 とか思いながら載せます。

文句は過去の僕に言ってください^^; ぁ、ウソです! コメント待ってます!

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今日、とある会社の説明会にお邪魔したら、人事の方から 「面接とかのときに、自分のコトを私、とか言わない方が良いよー。 言いなれないコト言って、そこに意識がいっちゃって 中身がおろそかになったら本末転倒でしょ。 こっちもあなたたちの中身をキチンと知りたいの。 演じなくて良いんだよ。 人事の人はそんなのすぐ見破っちゃうんだから。」

などと話してくれました。 それをみんな、「うんうん」頷きながら聞いてるのを見て、 すごい違和感を感じました。

いやいや、「わたくし」なんて 就活生たち言いたくて言ってんじゃないんだよ! 大人たちが『社会人はそうするべき』 みたいな偏見を植え付けてくるからでしょ。

学生たちの方がずっと考えてるよ。 わたくし、って言って、 『協調性があります。御社の理念、活動内容に共感しました。』 とか言っとけば 気に入られるって教えられてきたからやってるだけなんだよ。

スーツだって、着たくて着てるんじゃなくて、 人事のおっさんたちが、スーツ着てくること前提で考えてるから 着て来ざるをえないんだよ!

そんで、服装とか明記されてないときでも、私服でくると 『はぁ?TPOわけまえろよ!暗黙の了解ってのがあるだろ!』 みたいな白い目で見られるコトわかってっからみんなスーツでくるんだよ。

面接だって、スーツ姿のおっさん数人の前に立たされて 『自分らしく』とかふざけんなっちゅー話ですよ。

大人なんだったら、長く社会で生きてんだったら、 その辺の事情を感じ取れよ! 学生に「もっと自分らしく」とかいう前に、 自分らしく居させてくれるような社会とか人事制度とか考えてくれよ!

あんなふざけた政権で、経済が不安定で、 社会人はツライみたいな風潮になっちゃってっから 公務員とか楽で安泰な職種が人気でんだよ!

結論。 学生に求める前に、人事のおっさん達がちゃんと考えなさい。 ホントに!

その上で、ウチはスーツをキッチリ着こなして いつでも営業スマイルができる、 決められたことだけしっかり答えられて 上司の意見にただただ服従する人材が欲しいんだったら 今まで通りやればいいんじゃないですか?

そうじゃないなら、リクルートか電通が言ってんのか知らないですが、 リクルートスーツや礼儀作法などの刷り込みを なんとかしてください!

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…なかなか生意気ですね。 ちょっと視野が狭い気もしますが、 これが就活生だった僕の感想です。 (大手受けてないし、圧迫面接とか経験してないですが…^^;)

クリティカル・ワーカーの仕事力

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クリティカル・ワーカーの仕事力

ワークスアプリケーションズという会社の 代表 牧野・阿部、両氏へのインタビューを中心に、 クリティカルワーカーについて書かれた本です。

クリティカルワーカーとは?

「自ら前例のない仕事に取組み、自らの思考、発想で  ブレークスルーする人材」(by 牧野氏) 細かくは色々あるのですが、それは本書で。

ちなみにわかりやすい対比として、『ルーチンワーカー』が挙げられます。 公務員の業務とかに適している人ですかね。 与えられたことをキッチリこなせる人材のことです。

クリティカルワーカーになることで、

  • 社会に役立つイノベーションを起こせる。
  • 代替不可能な市場価値の高い人材になる。

まぁ、難しい話はいいとして、

  • 『単純作業嫌い!』
  • 『与えられるんじゃなくて自分から行動したい!』
  • 『命令するより命令したい』

って人はルーチンワークに向いてないので、こっちを目指したら? と個人的に思います。

重要なこと

んで、クリティカルワーカーを目指すうえで何が重要か? ということですが、

プロセス主義

成果ももちろん重要なのですが、どういう思考を経て どういった計画の元行動していったか。 そしてどういう結果になったか? なぜそうなったか? ということを常に考えて行動することが大事だそう。

いわゆる『PDCAサイクル』ってやつですね。 (↑この単語知らない人は自分で調べてみてください。  リンク貼ろうかと思ったんですが、皆さん主体的にいきましょう)

これを意識することで、

  • 再現が可能になる。(マグレ当たりでなくなる)
  • 自分だけの強みを見つけられる。

きちんとプロセスを意識して改善していけば結果は自ずとついてきます。 結果が出ないのであればもっと深く考察する必要があります。

周りのせいにしない。

うまくいかない理由を外に求めることは簡単です。 「あいつが時間通り行動しないから」 「天災じゃぁしょうがないよね」 「急な用事が入っちゃったから」

なんて言っていては自分が成長できません。 そもそも、 「そんなんで許してもらえるほど社会は甘くねぇよ」 ってカンジらしいです。

理想・ゴールありき

現状から考えるのではなく、 「どうあるべきか?」 「どうなれば成功か?」 ということをはじめに考え、逆算して進めていくこと。

現状からスタートしてしまうと、 どうしても場当たり的になってしまったりするし データなどを先に見てしまうと、 偏見ありきの狭い範囲でしか考えられなくなります。

なにより、理想が見えるとわくわくするし、周りを巻き込めます。

時間を意識すること

当たり前のことなんだけど言及します。 上記のように理想を追い求めると、 ついつい時間の感覚がおろそかになってしまうんですが 全てにおいて(特に仕事において) 時間という概念は重要。

理想から逆算するときも、時間を意識することで密度が変わってきます。

以上、長々と書きましたが、楽しくやりがいを持って仕事するなら こういった考え方を知っとくのもいいんじゃないかと。

まじめすぎたので次回はラフにいきます^^;

自分のアタマで考えよう

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久しぶりのブックレビューです

今回はこの本。

作者は、知る人ぞ知るアルファブロガー、「ちきりん」さんです。 『Chikirinの日記』を書いてます。

自分のアタマで考えよう

自分の頭で考えてきたか?

さて、質問です。

あなたは、今まで自分の頭で考えてきたでしょうか?

「いつも自分で考えてるに決まってんじゃん。」 と思ったアナタ。 考えることの奥深さがわかります。オススメです。

なんにも思わなかったアナタ! 普段考えてないのでは? 考えることの大切さとやりかたを学べます。オススメです。

『今まで自分で考えてきたか?』

よく、学校の勉強では一夜漬け・暗記・知識を蓄えるコト で良い成績が取れるようになります。

学校教育における「頭の良い」人とは、 『知識を蓄えるのが上手い人』 変な言い方をすれば、いちいち疑問を持たずに素直に覚える能力。

社会での頭の良い人とは、 自分で考えられる人・判断が出来る人・自ら動ける人とかです。 だって、仕事に答えなんてないでしよ?

「この方法でやりなさい。」 なんて細かく指示されんのは公務員くらいです。 もし企業で細かく言われるようなら、 「あなたには期待してないから。」と言われてるようなモノです。

自分で考えるコトの重要性は ・再現性がある。 ・何事も主体的に決められる。 です。

では具体的に自分の頭で考えるコトとは? っていう話です。

ネタバレのおそれがあるので、さわりだけしか言いません。

『考える』と『情報を集める・整理する』は違う

ニュースを読んだり、データを作成したりは思考ではない。 肝心なのは、目的は何か?なんのためにその行為をしているのか?を明確にすることです。 それがわからないままインプットするのは、 逆に情報に囚われてしまうので逆効果です。

全てを疑う。

人は誰しも偏見を持っています。 これが思考の妨げになるのです。 「このデータはこういう意味に違いない!」 「あのアイデアはこう用いるべきだ!」 「この仕事は旧来のこの方法が一番効率が良いに違いない!」 そもそも、「この情報は正しい!」ってのも偏見です。 事実であっても真実でない場合がほとんどです。

最後に、思考の時間を設けることです。

上記二点を踏まえて、自分の頭で考える! これを繰り返すことでしか思考力は身につかないと書いてます。

俺が今までなんの得もないのにブログを更新してきた 甲斐があったというものです。

時には、面白くないと言われ、 時には、他の人のほうがもっとうまくまとめてたよ、とアドバイスされ、 時には、お前は間違ってる!と叱られたり。

ただ、思考力は明らかにつきましたよ! 受け身の読者の方達なんかにゃ負けませんよ!!

繰り返しますが、

  • 先人の考え=知識
  • 自分の考え=知恵

です。

仮に先人のほうが正しいことを言っているとしても、 自分で思考する行為自体が重要なのです。

他人の意見と比較してよりよい思考をすることが出来る。 他の分野でも再現できる。

自分で考えることは人間らしく生きてく上で欠かせない 行為だと思います。

とりあえずこの本に例題やヒントが書かれてるので、読んでみることをオススメします。

みなさんも是非! 「自分のアタマで考えよう!」

良いカンジの生き方

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今日、とあるディスカッションに参加してきました。 おじさんとか女子大生とかとお話できたので楽しかったです!

そこでのことを話そうと思うのですが、 テーマが「理想の生き方とは」っていう真面目な話だったので、 ちょっといつもと変わった感じでお届けしたいと思います。

今日は対談形式です。 二人をご紹介!

「ちっちゃいおっさん」 頭の固いおっさん。 頭は良いのですが融通が利かないキャラです。

「しばたこ」 とある理系大学生。 賢いのでおっさんを諭します。 ちなみに、筆者とは何の関係もありません。

おっさん(以下青文字「さて、『理想の生き方』ってなんじゃろう?」

しばたこ(以下黒文字) 「難しーお題だねー。」

「今までそんなこと考えたこともなかった…どう考えたものかのう?」

「しょうがないなぁ、おっさんは。  じゃぁまず、『理想ってことは、現実ではうまく生きれてない』んでしょ?  今の社会では何が原因で理想的に生きれないんだろう?」

「おぉ、なるほど!  でも、今までずっとこの社会で生きてきたからなぁ。  今さら社会に問題とか疑問とか見つけられないのう。」

「あーあ、どんまい!  もうすっかり社会に飼いならされてるね。  うーん、『制約などでの抑圧・経済的な心配・社会的な体面』  ってところかなぁ。」

「なるほど!  それらがなくなったときに本当の生き方が見えてくるのだな?」

「そうかもね~  じゃぁ次に、『これらの障害がなくなったらどんな生き方をしたいのか?』  ですかね。」

「ざっくり、『幸せな生き方』がしたいのう」

「『幸せ』って、また難しいですねぇ」

「こーゆーときはな。  マズローの欲求段階説をじゃな・・・」

「いやいやいや!  そんなんどーでもいいんです。  おっさんはすぐそーゆー枠にはめて考えようとするから  思考が固まっちゃうんですよ。  単純に自分のしたいこと考えましょうよ!」

「マズローのヤツなんて、僕としては衣食住と安全さえ  確保できればあとは順位なんてつけるもんじゃないですよ。  『衣食足りて礼節を知る』ってやつです。」

「なるほど。  そういうところから固定概念に支配されてるわけじゃな。  しばたこはリベラルじゃのう。」

「で、ここからは個人差があるのですが、いざ幸せを考えたときに  お金やモノといった物欲にいく人はあまり多くなさそうです。  みな無形のものを求める傾向にあるみたい」

「主に、  ・自分の存在意義の追求  ・人との繋がり、他人の評価  なんかで考えることが多いみたい。

 前者から。  自分が生きていることの理由を探し、  『僕は何かを成し遂げるために生まれてきたんだ』っていう考え。  夢を持って挑戦して生きてくのって、  ツライけどやりがいがあって楽しいですよね。  『自分が成長してる』だったり『人に喜んでもらってる』  といった満足感も得られます。」

「確かに。  わしも上司から与えられる仕事は面白くないことが多いが、  自分で意義を持って仕事してるときはやりがいを感じるのう。  だいじなのは『主体的かどうか』ってことか?」

「それ大事ですね!  ただ、多くの人が自分のしたいことがわからないのが現状です。  そういう人には、とりあえず色々チャレンジできる環境が  理想なんじゃないのかな、と思います。」

「会社に入るときそんなこと考えてたかな?」

「一方、後者。  人との繋がりを大事にしたい。  何か行動するにしても、周りに協力者が欲しいし、  辛いときに相談できる人、居場所があることが一番の安心・幸せだ。  という考え。  また、『周囲から必要とされたい』とか  『何か成し遂げたときに喜び合う仲間が欲しい』  『周りから自分の存在を認めてもらうことが幸せだ』  って人も。」

「そうじゃなぁ。  わしも、自分が死んだときにそばで看取ってくれる人や  悲しんでくれる人がいてくれたら幸せじゃのう。」

「長くなってしまった^^;まとめます。

まぁ結局、僕の理想の行き方は、こんな難しいこと考えずにノリで生きていくコトですね!( ̄▽ ̄)」

「!!!(゚□゚*)」

次回、続き書きますね。

科学技術の発展と信心

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科学技術が発展するまでは、神の存在が信じられていました。 というよりも、説明できないコトについては 「全て神がお造りになった」 などという創世記のようなものが多く作られました。

しかし、科学が発展してきてからは、そういった 『神のみぞ知る』といった事柄が 説明できるようになってしまいました。 逆に神の存在はどんどん不安定になっていきました。

科学進歩の結果として便利な暮らしを享受出来てるわけですが、 同時に心が満たされない人が多くなってきてしまったのかな? と思います。 特に、無宗教な人が多い日本で顕著になってるんじゃないかな なんて偉そうにも思ってます。

なんでも科学で解明できるようになってから、先人の教えなども ないがしろにしてしまっているような気がします。

例えば、

「他人は自分を映す鏡。自分が良い行いをすれば人も良くしてくれる。」 ⇒自分にとってメリットのある人には優しく接するけど、  どうでもいい人(キモオタ・キチガイ)に優しくしても意味ないじゃん!  あんな奴らに嫌われたって問題ないし、好かれたって何も得しない。

「全てのモノ(八百万)には神がやどっているから大切にしなさい。」 ⇒大事に使うのめんどくさい。  壊れたら新しいの買えばいいじゃん。  大事に使ってなんか得あるの?  それに、流行りのものとかあるし、  何年も同じデザインのものとか使いたくないし!

「誰も見ていなくてもお天道さまが見てる。」 ⇒見てるわけないじゃん。  誰もいなけりゃポイ捨てしても怒られないし、  バレなきゃ何やったっていいじゃん。  むしろバカ正直に信じてるやつなんなの?ほんとにバカなの?

「信じれば夢は叶う。」 ⇒そんなわけないじゃん!  物理的に無理だったり才能には勝てないに決まってんじゃん。  巨人の星バリの根性論ですか?  イマドキそんなの流行んねえっすよ!

なんかでしょうか。

書いてて悲しくなりましたね。 なんかもうココロが貧しすぎて…

そこで、先の大震災は、不謹慎ですが 今までの生き方を見つめなおす良い機会だったのかなと。 物質に頼った生き方がかくも脆いものなのかと実感した という話もよく聞きます。

宗教を信仰しろ!なんていうつもりは毛頭ないのですが、 もっと精神的な充実も考えた方が良いんじゃないかと。

自分にとっての『損得』で測るのではなく、もっと『粋』に生きてみるのもアリではないでしょうか?

僕の今年のテーマも粋に生きるです。

参考 バレなければ良いという生き方

現代は、なぜ生きづらいのか

I Think Again

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@May_Romaさんが語る。本当は「貧困」な日本社会。

おまけでもう一個。 前回は、自分が社会に何が出来るか?みたいな話でしたが、 こっちは、より個人に特化した話。

@May_Romaさんという、海外在住の人が日本の生活について バッサリと斬るこのまとめは、このツイートから始まります。

ワタミの社員になるより、刑務所の方がなんか楽で健康そうな件。ホリエモンさんのtweet見る限り刑務所悪くなさそう…生活費かかんないし。ご飯がうまそう。

読んでいて改めて、何のために働くんだろう。。。と思います。

「社会人になったら働かなきゃ!」

「働くんだったら出世していっぱい稼がなきゃ!」

「みんな残業して頑張ってるし私も頑張らなきゃ!」

なんか目的見失ってないですか?

また僕は理系だからか、テクノロジーの進化と人間の生活についても よく考えるのですが、科学は本来、生活を豊かにするために生まれたものです。

例えば原子力。

安定して電力が確保でき、CO2の排出が少ない、 それによって人々の生活が向上できる!と始まったものだと思いますが、 現状はどうでしょうか?

福島の人々は住むところを追われ、僕らも日々不安にさせられています。

コンピュータも同じ。 人々が便利にインターネットを使ってる裏で、 IT土方と呼ばれる人たちが昼夜ぶっ通しで開発をしています。 『プログラマの定年は30歳』なんて言葉も聞いたことあるでしょうか? また、日々パソコンに向かう事務職の人たちは、 肩こりや眼精疲労に悩んでいます。(僕もですが^^;)

全ての仕事・研究は、本来人々の生活の向上を目的としていたはずです。 しかし、一部企業の様子を見ていると、 『社会のため』といいつつ、社員のことは考えていないような気がします。 社員のことを考えられないで、何が社会のためなんでしょうか?

もう一度、なんで自分がこんなことをしているのか 立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか?

(政治家やマスコミ、原子力ムラの人にも同じことを言いたい気持ちです。)

インターン志望動機

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インプット・アウトプットの質を高めたい

昔から、マスメディアは様々な世論操作、誘導が出来ることを感じていました。

また、ジャーナリズムとはただ事実を伝えていればいいというわけではなく、 常に公正さを意識した事実を知らせるだけでなく、その事実を踏まえての個人の主張・民主主義においての権力の監視という意味合いが強いということもまた思っていました。

以前は、経験的・論理的に考え出したわけでなく、 ただ反社会的な考えからの斜に構えた見方・穿った見方だったと自覚しているのですが、 東日本大震災以降のニュースに関して、今まで隠れていたその裏の顔がドンドン明らかになっていったと感じています。

マスメディアの公平性・中立性が疑われている今、 情報源が一つしかないとどうしても偏った考え方になってしまうと思います。

また、出来れば一次情報・単なる「事実」を自分で経験することができれば、 もっとも信用できる情報源のみからの考察ができるので理想なのですが、一次情報を全て自分で集めることは大変な手間と労力です。 また、どうしても物理的に不可能なことが出てきます。

そういった場合、やはり他者が集めてくれた情報を受け取ることになるのですが、2次情報は必ずしも事実とは限りません。 また、伝え方によって様々な解釈ができてしまうこともあります。

信用できるソースというものが自分の中にあればいいのですが、 かといってそこからの情報のみを得ていると結局マスメディアと同様にそのソース元に考え方が誘導されてしまう事もあります。 多角的な視野を持ち総合的に判断することでより説得力のある的確な判断が下せると思います。

そういった意味で、広い視点から多角的に判断する能力が求められるのですが、Webという媒体は、 その拡散性・多様性・スピードに優れていて、統制や規制をおこないづらいまさに最高のツールだと感じています。

その分質の低い・デマの情報も氾濫し、正しくキュレーションする事は難しいのですが、そこの取捨選択の能力が上がれば、情報強者になることができます。

同様に、アウトプットなのですが、他者にも多角的な視点を持ってほしいです。 全ての人が自分で情報を収集して、おかしいところがあれば改正するように主張する。 それが正しい民主主義だと思います。

そのためには、より興味をそそるような書き方、分かりやすい書き方が必須だと思います。

幸福と成功の意外な関係2

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siriが日本語対応したってのが話題になってますね。

なかなかウィットに富んだ仕様みたいで面白そうです。

ただ、日本語対応したのに、名前は全然対応してなくないですか? 「しり」ってちょっとネェ…σ(^_^;) ってカンジじゃないですか?

だって、

「俺のしりはなんでも言うこと聞くんだぜ。」

とか、

「私のしりは賢くてなんでも答えてくれるのよ」。

とか、滑稽すぎるでしょ。

そこで、日本語バージョンのsiriにもっとふさわしい名前を考えてました。

日本人っぽい名前? 『八兵衛』 いやいや、うっかりされちゃ困る。

中性的な名前? 『瑞希』 フツーだなぁ。でも、イケメンパラダイスの堀北カワイかったなぁ。

執事っぽい名前? 『ハヤテ』 しっくりこないなぁ。しかもやたらと不幸そうだ。

などと思考錯誤してたのですが、 ついに良いネーミング思いつきました!

siriを逆から呼んで『iris(アイリス)』です!

どうよコレ! 執事っぽくないですか?おしゃれじゃないですか?o(゚▽゚)o (←テンション高い)

ってワケで、日本語バージョンのシリはアイリスと呼ぶことにしましょう。 気に入っていただけたら、 『俺のアイリスがつれなくてさ~』 とか言ってみてください。

余談でした。

さて、本題。

昨日、日本で競争社会は有効なのか? という議論をしてました。

結論から言います。

日本に競争原理主義は向かないんじゃないか。相互に助け合う文化を育てるべき!

今日は、その背景から。

まず、ビデオを見てなぜそんなコトを思ったかと言うと、

プレゼンの中で、人が成長する、良いパフォーマンスを出す にはポジティブな思考が良いと言われていたからです。

社会が、経済が活性化するのは、個々人のパフォーマンス次第です。

みんな学生の間にその力を十分蓄え、社会に出て発揮していくのです。 全ての勉強、経験は良いパフォーマンスを生み出すための糧に過ぎません。

今までは、パフォーマンスを高めるためには競争が良いとされてきました。 理由は前回書いたので割愛します。

ただ、このプレゼンを聞いた後に同じコトが言えるでしょうか?

前述の通り、人間の成長のカギはポジティブに 考えられるかどうかのようです。

競争に疲れた人、負け続けてしまっている人たちは ずっとポジティブに考えられているでしょうか?

中には、もちろん心の強い人もいるでしょう。 しかし、日本の実情をみて、 心の強い人ばかりとはとても思えません。

また、日本の構造にも問題があります。 これも昨日書いたのですが、日本は終身雇用の名残か、 今だに年功序列の風潮があるみたいです。

つまり、自由な競争の場ではないんです。 日本で競争しようと思っても、キチンと評価されず、 これまたモチベーションの低下に繋がるんじゃないでしょうか?

もし、本当に競争心の強い人なら、もっと自由に闘える海外へ行くでしょう。

最近日本はゆとり教育ってことで、絶対評価、 今までのような競争でなく、自分らしく生きましょう、 みたいな教育をしていますが、こんなん甘いです。

現行の社会の構造は相対評価、競争主義だってコトに学生は気づいてます。 うわべだけの絶対評価を導入しようが、浸透するはずがないのです。

また、 人は生まれながらに競争心を持っている。 という意見もあるかと思いますが、これはモチロンです。

決して、競争に反対なのではなくて、 日本に競争原理主義は向かないんじゃないかと思うだけです。 自身のモチベーションを上げる手段として 競争心を用いるのは大いに良いコトだと思います。 まぁ、日本の社会でがんばりがキチンと反映されるかは疑問ですが。

以上長々と綴りましたが、それよりもお互いが助け合う、 ある種社会主義的な考えの方が日本では上手くいくんじゃないでしょうか?

日本は古来から農耕民族で、集団との強調を重んじます。 そして、その時のモチベーションは、 その集団に貢献できる喜び、だったのではないかと勝手に考えています。

近代になってから、欧米から資本主義が入ってきましたが、 あくまで他人のものを模倣しただけで、 あんまり日本に向いてないんじゃないかと思います。

なので、もっと道徳や倫理のところから教育していき、 集団(地域、日本、人類全体など、枠は人それぞれ。)の中での貢献、 ってところをモチベーションにできれば、 みんながみんな自分らしくポジティブに生きられ、 パフォーマンスも上がってくんじゃないかと思いました。

働きたくない、楽したい、などの自己中心的な考えも 払拭できるのではないかとも期待してます。

まぁ、理想論ですが。σ(^_^;)

幸福と成功の意外な関係

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幸福と成功の意外な関係

このビデオを見た感想を少し。

また日本の産業についての話になるかと思います。

このビデオは、世界の有名なスピーカーのプレゼンを アーカイブしてくれてる、TEDというサイトに載ってたものです。 英語やプレゼンの勉強に見る人も多いらしい。

そんななかでのこの講演。 脳科学者の方のお話で、幸福と成功の関係です。

要は、この世の全ては脳が決めている。 気持ち次第で身体のパフォーマンスも変わってくるんだよ、というお話。 まぁ、ことわざでいう「病は気から」ってヤツと同じ感じです。

こういった内容は非常に関心があるし、 プレゼン自体も面白かったのですが、 聞いてて思ったことがありました。

それは、

競争ってホントに必要なの?

そこから派生して、

資本主義って日本に適してんの?

っていうことです。

例えば、このプレゼンでは、 ハーバード大学に入学した彼が、 ハーバード生の悩みについての相談を聞いたエピソードがあったのですが、

あの超有名な大学にいったエリートですら悩むんです。 周りには優秀なヤツばっかりだ、とか競争社会で上を見てるとキリがないです。

今までは、 「だから成長し続けられるんだ。 自分が一番、なんて思った時点で成長は止まる。」

なんて言われてましたが、 そもそもモチベーションを保つ方法が『競争』で本当にいいのでしょうか?

資本主義の概念は、開国したのち、明治時代になってから 欧米から伝わってきた概念だと認識してます。

すると、そもそもが他人の受け売りのこの概念が日本で 正しく機能するでしょうか?

もちろん、競争社会になったのにも理由があります。

なぜなら、その方がみんなが努力するし、経済活動が活発になる。 つまり、国家として成長していくために、 個々人の能力を最大限発揮出来るように考えられた手法だと思います。

事実、高度経済成長期にはそれが上手く機能して日本は成長してきました。

しかし、現代において上手く機能してるでしょうか?

おエライじいさん達は、 自分達ががんばって勝ち取ってきた地位を守ろうと躍起になり、

政治家は、保身と自分の任期の間だけ波風立てないような政策を して次回当選を狙い、

若者はそんな大人に嫌気がさして、 またゆとり教育の影響もあって、 競争を嫌い内向的に。また、競争好きな子は自由に競争出来る海外に。

競争に負けて立ち上がろうとしない、 もしくは立ち上がることも許されない人達は生活保護へ。

あえて欠点ばかり書きましたが、ちょっとこれは深刻なんじゃねぇか、と思います。

競争社会や資本主義って、あくまで現実的な案であって、 真に正しい政策ではないと思います。

かといって、社会主義を推進するとニートが増える気もするんで 難しいんですが・・・

日本は集団社会なので、まだ社会主義が浸透しやすい国なのかなと思います。

(ビデオそっちのけになっちゃいました^^;  次回はなぜこのビデオから思ったのかをもうちょい詳しく書きます)