コミュニケーション能力なんていらない

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『コミュニケーション能力』

これほど曖昧で学生の興味と不安を煽るものはありません。 コミュ症と呼ばれたら大学生として生きていけないし、 就活の際にもコミュニケーション力を重視、 SNSのせいでその重要性はさらに顕著になってきてる。

でも、どうすれば身につくのか誰もわかんない、 そもそも定義すらよくわかんない。

だからこそみんな悩むし、不安になるし、落ち込む。

よく、会話を続けるコツとか、営業テクニックとか、 プレゼンのスキルとか、 コミュニケーション力養成セミナーみたいなのが あちこちあるわけですが、

俺に言わせれば、こんな小手先のコミュニケーション能力とか要らないです。

考えるべきことは二つだけだと思ってます。

  • 『ただ、相手に喜んでもらおうと思うこと!』
  • 『自分に自信を持つこと』

もうちょっと具体的に話します。

コミュニケーションはそもそも双方向のものです。 相手のことを考えないと成立するわけがありません。 どんな言葉・表現も、相手に何かを伝えるためのものです。

また、よく自分のことばかり話す人がいます。 彼らは総じて、自分に自信がないんだと思います。

自信が無いから、言葉で良く見せようとする。 自分の事をもっと他人に理解してもらおうとする。 自分の苦しみとかを他人に知ってもらおうとする。 でも、それって自分が聞かされたらめんどくさくないですか?

また、自分のことでいっぱいいっぱいの人は、 相手のことを受け入れるだけのキャパシティがない。 そんなひとが良い対話をできるわけがありません。

営業やプレゼンも同じ。 自社の製品やサービスが良くない時点で負けは決まってるんです。 自分の120%を見せるんじゃなくて、 100%に近づくように表現するのが本質なんです。 消費者に嘘をついたり、押し売ったりするのは悪です。

何が言いたいかっていうと、 コミュニケーション能力なんてあくまで 『いかに魅力を伝えきれるか』 ってだけで、

相手のことを考えてるか。 自分に中身があるか。

の方が重要だと思うわけです。

攻殻機動隊の世界(哲学っぽく)

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あなたは、どうやってあなた自身を証明しますか?

物理的に体が存在してるから、ですか?

では、手足がなくてもあなたですか? 顔を整形してもあなたですか?

このくらいなら、たぶんみんな『Yes』というと思います。

では、首から上だけになったら? 心臓は?

このあたり、意見が分かれるのかもしれませんが、 『銀河鉄道999』とかでも出てくる機械の体、っていうのは、 完全に肉体が無くても自分ですよね?

つまり、『あなた』の存在は物質的なものではない。

ではあなたとはなんですか?

思考ですか?

かのデカルトのように、『我思うゆえに我あり』ですか?

その思考は本当にあなたの思考ですか? それは所詮、脳のシナプスの電気信号の集合体でしかないんですよ。

五感が錯覚していたり、精神的ショックなどでそもそもの記憶を捻じ曲げていたり、 また攻殻機動隊の世界のように、記憶を書き換えられたりしていないと 証明することなど不可能なんです。

例えば、幻覚・幻聴の類が間違ってるなんて誰が断定できるのでしょうか? 僕らこそ感覚情報をきちんと処理できていないのかもしれません。

記憶なんてもっと曖昧で、精神状態によって 自分の都合のいいように書き換えられます。

ちょっと話を変えます。

科学は思想や哲学をひっくり返してきました。

人々が幸せに暮らせるように考えられてきた科学ですが、 結果、自然・生物を数値化し、 人間の幸せを定義し、 物理的な裕福さを追い求めてきている現在は 本当に幸せになれてるでしょうか?

精神的安定を図るためなのかはわかりませんが、宗教といったものがあり、 『信じる者は救われる』といった思想もありますが、 自然現象を物理的に説明し、数値化してしまった時点で、 神の存在、見えざる手の存在はだいぶ怪しくなってしまいました。

同時にそれは、人間もまたいろんな物質・信号の 組み合わせに過ぎない、ということことも説明されてしまいました。

人間は、自分で自身の可能性、無限の神秘といったものが ないことを証明してしまったのです。

生命には無限の可能性がある、とかいってても、 身体機能の向上のための義体化、 記憶力向上のためのストレージ化、オンライン化 なんてしてしまえば、義体の持つ数字以上のポテンシャルはありません。 自分で自分の可能性の上限を設定してしまってるんです。

また、先ほどの話のように、機械と人間の境目が曖昧になる世界では 人間の存在自体すら怪しまれます。

どこまでが人間?どこからが機械なの?

人形は物質?

それに歯車とかICチップ埋め込んでランダムに動かしたら?

人間の思考も所詮はシナプスの電気信号で動いてるって証明されてるんですよ。 どう違うんですか?

そもそも、生命というのも、 自身のDNAを後世に継承していく一時的な記憶装置でしかない。 遺伝子に組み込まれた通りに設計されて、 本能という名のプログラムに従い、 危険を避け、交配相手を探し、 生理的欲求を処理してていくだけの存在。

脳にあらかじめプログラムされた感情・本能といった演算をこなしているだけ、 とも言えます。 (この表現は理系特有でしょうか?)

さて、初めの問いに戻りますが、こういったことを考え始めると 自分が機械なのか本当に人間なのかすらわかんなくなってきます。

結局、この世に絶対なんてあるわけなく、全てが主観に過ぎないのです。 (絶対なんて絶対ない、って自己矛盾ですね。)

ここで、自身の存在の確立のロジックが ざっくり西洋と日本で異なるらしいのですが 長くなったのでそこは次回で。

やっぱり見た目が大事

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完全ひねくれ思考です。 結局イケメンが強いんだよ。って話。

ソーシャルメディアが普及して、個人が発信できるようになって、 情報量がハンパなく増えました。

これまでは、声が大きく発信力のある人、 自己PR力のある人がもてはやされてきましたが、 今やいいところも悪いところも筒抜けの現在では、 良いことしかいわないアピールなんて信用されないんです。

また情報量が多いため、普通の活動だったり まずもってインパクトに欠けるコンテンツは普及しません。

そんなときに、『顔』っていうのはかなり有利になるんじゃないかと。

基本的に、顔に嘘はないですよね。 フォトショ、化粧などで化けることはできますが、 ネット上ではずっとそれでいけます。

まず目を惹く、という意味ではこれ以上強力なツールはないと思います。

また、個人で発信できるようになり、 生主、アイドルなども数多く目にすることができる今では、 探せばイケメン・美女なんてそこらへんにいます。

ソーシャルメディア、画像系まとめサイトとか漁れば 女の子の自画撮りとかじゃんじゃんでてきます。

様々な情報発信プラットフォームがあるので、 嵐や還流スターも、カッコイイ人は瞬時に広まります。 昔みたいに、自分の周りの人だけを盲目的に見ることはもうありません。

つまり、今まで以上にイケメンは取り上げられ、『いいね』押され、 美女はもてはやされ、ファンが付き、 一方で童貞は一生童貞なんて事態になるんです。きっと。

まぁ、アレですね、リア充爆発しとけ!

(あと、女の子が可愛いのは歓迎ですが、  やたらチヤホヤされてきたおかげで自己中心的な子が多い印象です。  周りのことまで考えられない貧しい心のヤツは見た目とか関係なく  関わるのは嫌ですね。)

攻殻機動隊の世界

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先日、攻殻機動隊をみました!

いやー、面白かったですね。 アニメってだけで多少敬遠されがちですが、 そこらの映画よりもよっぽど作り込まれていて内容も深いです。 見てない人は是非一度見てみて!

(先日みた宇宙兄弟は、バカで笑えましたが、深みも含蓄もなかったので、感動もクソもなかったです。)

では本題、そこで思ったことをいくつか。

まず、ざっくり説明から。 攻殻機動隊の世界は、今よりそう遠くない未来、 体のサイボーグ化が進み、自分の脳を電脳世界と接続できるというものです。

身体能力を上げるため、体は義体化している。 感覚も義体を通じて、より詳細で正確な信号が入ってくる。 脳は外部記憶装置と繋がったり、 足りない知識はいつでもネットにアクセスすることができる。 人との交流やデータの授受も、ネットを介してシームレスに行える。五感に頼らずに。

こんな世界で、ハッカーなどの犯罪を取り締まる警察のお話なのですが、 難しいけど理系は大好きな構成だと思います。 追っていく中で犯人の思想:哲学もわかったりして、 ニンゲンって何だろうと考えさせられます。

作中に、電脳をハッキングされ、五感や記憶を操作されるという描写があります。 人の五感はあくまで信号に過ぎません。 物があるという信号を目から受け取り、 手と物が触れたように見えると同時に、 手から触れてるという信号が流れ、 場合によっては同じタイミングで耳に音の情報が入ってくるだけです。

記憶も同様で、シナプスの電気信号の集合に過ぎません。 『その事実があった。』 というのは自分自身がそう信じてるに過ぎない。 他人に聞いたとしても、所詮その人がそう思ってるだけに過ぎない。 さらに言えば、物証などの外部情報も、五感がそう認識したに過ぎません。

それを我々は勝手に関連づけて世界を見ているに過ぎないのです。 そもそも、我々がみてる世界は同じなのでしょうか? もし、世界がちゃんと存在して、 みなが等しく外部からの信号を受け取るとして、 各感覚器官から脳への変換コードはみな等しいのでしょうか? みなが知覚している世界は同じなのでしょうか?

人によって、精神状態によってコレは変わるように思います。 みんな、見たくない事実は認識しないようにするものです。 トラウマや二重人格、といったものも、 精神の自己防衛による感覚の認識の歪曲です。

ちょっと難しい言葉ばっかりになっちゃって本意ではないのですが、 言いたいことは、

『こんな世界ってみんなが望んだ未来なんだろうか?』『本当にこれで幸せなんだろうか?』

っていう、科学者ならだれもが思うのであろう永遠の問いです。

次回、それについて哲学っぽく書きますね。

デリカシーって何?

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今日も身も蓋もない話。

高校とか、大学のサークルとか、学生の人間関係って 色々と触れちゃいけない話があるじゃないですか。

まぁ、基本的には恋愛がらみだったりするんですが。

「彼とあの子は別れてから仲良くないからそっとしといてあげて」 とか、 「あの子の前でこの出来事の話しちゃいけない」 とか…色々ね

まぁね。相手のことを気使うのは大事ですよ。

でも、そーゆープライベートな情報って 基本女の子と話さない層の僕らには入ってこないんですよ。

で、うっかり地雷踏んじゃってみんなに責められる、みたいな。

「ちょっとー男子気を使いなよー。」

「○○ちゃんのこと考えたげなよー。」

「デリカシーなさすぎ、サイテー。」

とかとか。

(本当はもっとエグいですよね ツンデレに脳内変換してお楽しみください。)

で、いつも思うのが、デリカシーって何?ってことです。

その子のこと必要以上に気を使って守ること?

過去に蓋をして完全になかったことにすること?

それって克服する機会を放棄させてることじゃないですか? 現実から逃げてるだけじゃないですか?

また人によっては、 『なんで私がいる時にその話するの!』 とかって、本人がキレるパターンもいるわけで。

気に入らないところを突かれると、 被害者ヅラしてヒステリックになるってかなり厄介じゃないですか?

それにそういう時、 必ずと言っていいほど、周りから僕が怒られます。

僕もだけど、そんなめんどくさい関係にしちゃって 周りに気を使わせてる自分自身が悪いとか思いません?

臭いものに蓋をしないで、ちゃんと処理して下さいよ。

そんなこともあったなーって 後で笑い飛ばせるくらいのほうが人生楽しいです。

こーゆーことばっか言うからモテないんですよねw わかってますよ。

最後のとか完全に男の理屈ですし…σ(^_^;)

ぁ、でも言っときますが、 僕はきちんとデリカシーある紳士なので大丈夫ですよ!♪( ´▽`)

「私がするべきこと」、って?

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就活も中盤ですかね。 前回の記事が真面目すぎたので、 今日のはそれを台無しにする方向で行きます!

今回は、『もっとみんな楽に生きれば?』っていうお話。

よく、 「この世に生まれたことには意味があるはず。 なにか私にしかできないことをしなきゃ!」

とかって意気込んで就活してる人は多いんじゃないかなと思います。

もちろん、僕もそういう考えは大好きなんですが、 その考えが自分の首を締めてるように見える人が けっこう多い印象…(~_~;)

みんなもっと楽に生きればいいんじゃないかな?

ぶっちゃけて言います。

誰もアンタにそんな期待しちゃいねぇよ!『あなたにしかできないこと』なんてないよ!

責任感とか使命感に囚われてるところ悪いんですが、 そんなもんだと思います。 あなたがいなくても世界は回るんですよ。なんら変わりなく。

こう言っちゃうと、 「じゃあ生きてる意味なんてあるの?」 とか言われそうですが、 意味は作ればいいんじゃないですか?

あなたにしかできないことも、 あなたが本当にやりたいことも、 働いていく中で見えてくることもあると思います。

就活中に一つに決めちゃって、 一生それを仕事にして生きていかなきゃいけない なんてあるわけがないんです。

あとで軌道修正するチャンスなんていくらでもあるはずです。

最後に、

○○しなきゃいけない!するべき! とかじゃなくて、

○○してやる!社会に俺を認めさせてやる! くらいの意気込みの方が楽しいんじゃない?

競争でも、追われるより追う方が楽しいんですよ。 かっこつけてないで泥臭くいきましょう!

無難な言葉の危険性

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僕がこういうブログを書いてると、たまに、 「なんでこんなん書いてんの? 余計なこと言わなきゃいいのに」 なんて言われます。 ブログを書く理由は時々述べてるのですが、 どうも奇抜な内容、挑発的な発言それ自体について言ってるようです。

逆に聞きたいです。 みんな、

  • 無難な言葉、
  • 決して非難されないような当たり前の言葉、
  • 世間で良く言われてる流行りの言葉、

だけで済ましてないですか?

それって自分の言葉じゃないですよね? あなた自身は何も考えてないですよね? 他人に非難されないように逃げ道作ってますよね?

民族的なものかはわかりませんが、 日本って、人と違う意見いうとそれだけで なんか変なやつと思われる風潮がある気がします。 「わざわざけんか売るなよ、 無難なこと言っときゃ誰も不快にならないし安全だろ」 みたいな? …どうやら僕も変なやつの部類に入ってるらしいです。

この、無難なこと言っときゃいい精神が良くないと思います。 就活とかでも如実に現れてるからねコレ。 出る杭は打たれる的なやつ。

何が悪いって、色々あります。

まずは、そこで思考が止まるからです

表現しない方がいいことについて誰がわざわざ考えますか。

そんで、あとは心が狭くなることです

自分と違った意見は受け入れられないようになってしまいます。 変な奴の意見を受け入れると自分も周りから外されるので

加えて、『無難なこと』とは結局,新聞やテレビなどマスメディアの意見そのまんまになってしまう

コトが一番怖いです。

石原都知事が良いと本当に判断してますか?

小沢一郎って有罪なんでしょ、とか思ってないですか?

そもそも、報道なんだから真実しか報道しないに決まってんじゃん。 とか思ってないですか?

流行に流されとけば、周りと意見合わせとけば、とりあえずは安心です。 でも、そこにあなたの思考はないです。

『俺はこの社会での立ち回り方をよく知ってるから、あえてみんなに合わせてるんだ』 って思ってますか?

人って言葉・行動に表していることが自分の意見だと思ってくらしいですよ。 ホントに集団の意見と別に、自分の意見を維持できてますか?

一度考えてみるのもアリだと思います。

(ただし、奇異な目で見られない程度にしとくのがベターです。  やっぱり日本はまだまだ異端を排除しようとする意識が強いみたいなんで)

なんでコンサートは夜が多いの?

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今回はちょっと感覚的な話を。

授業で、昼にコンサートを聴く機会があったのですが、 そこでな~んか心に響かないな~、と思ってしまいました^^; 「なんでなんだろう」と考えたところ、

昼と夜の時間帯の違いがあるんじゃないのかな、

と思いました。

もともと、人間は昼行性です。 知覚情報の大半(7割)を目から取り入れる と言われてますが、 ということは、夜になって光がなくなると 知覚情報の大半がなくなってしまいます。

入力がなくなった脳は何をするんでしょうか? インプットされた情報の整理、まとめを始めます。 これらが『想像』と呼ばれるものですよね、きっと。

また、昼は活発に活動しています。 視覚情報はロジカルな情報だと思います。 モノの存在、獲物との距離、危険の察知 常に自分が生きるために研ぎ澄まさなければいけない 器官だと思います。

一方、聴覚や嗅覚はなんとなくだと思ってます。 近くでないと感じないですし、 あくまで、

「なんか聞こえた」

「なんか臭いする」

っていう信号程度のものなんじゃないかなと。

つまり、人間は昔から

  • 昼は写実的、現実的な世界観
  • 夜は感覚的、空想的な世界観

を持ってるんじゃないかなー、と思いました。 芸術作品も、昼と夜では感じ方が違うんじゃないですかね。

マスコミ嫌い(言論編)

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真実を完全に知るなんて無茶な話、という話を前回しました。

それはマスコミも同様で、彼らがそこまで検証できてるとはとても思えません。 毎日報道し続けなければいけないマスメディアは そもそもそういった検証には不向きです。

事実を報道するのは大事なのですが、決して中立的な視点でなく、 だいたいがそこから考察を始めます。 そんで、どの局もたいてい同じ内容を話してる!

たしかにいくつかの事実を元に考察してるのですが、それが真実かは別です。 恣意的に事実を選別してることは、どんな意図かはともかく防ぎようがないです。

なのに、議論をしていない! 新しい視点なんてめったにでない! 同じ結論を聞かされ続けたら誰だってそれを信じちゃうよ!

あれだけの事実で真実がわかるはずないのに、わかった風を装ってるし、 反論する人は呼ばれなかったり、紙面に載らなかったり。

そういったプロパガンダも嫌いだし、 単純にそれを正しいと思って、考えるのやめたら面白くない。 それよかネット上でいろんな意見出てくるほうがよっぽどまともな姿勢。

マスコミ問わず、簡単に真実を知れるなんて思うのが間違い。 たぶんどの分野でもそうですが、反対意見の出ない意見 デメリットのない行動、はないんだと思います。 それを『臭いモノに蓋』でなかったことにするのは健全ではないでしょ。

完璧なメディアは存在しない! だったら反対意見も取り入れてより考えを深めた方が納得感が出ます。

マスメディアは一方通行のメディア

新聞記事に異論があっても、 投書したところでそれが反映されるかは新聞社次第。 個人に聞こうにも、顔どころか名前すら見せない。 全て母体の影に隠れて発言する。

テレビも同様。 震災時に、散々御用学者というフレーズが出てきたが 放送でそれについて言及したコトはないんじゃないかな? 上杉さんもテレビ干されたって言ってるし。 また、フジテレビデモとかもちょいちょい起きてたらしいけど ほとんどテレビでは公表してない。

一方でフリーの記者たちにそんな後ろだてはない。 批判をTwitterなどでモロに受け、ジャーナリスト同士でもよく衝突してる。

次に続きます・・・

マスコミ嫌い(現実編)

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このブログでは、いっちょまえに色々とマスコミ批判をしてます。 ちゃんと検証や取材とかしてない若造が何を偉そうに、 と思ってる人もいるかもしれません。 また、人によっては、 『マスコミも信用出来ないけど、かといってフリーの人たちも 信用出来ないじゃん。』 という人もいると思います。

なので、今回は改めて、 なんで僕がマスコミを批判するのかを簡単に話したいと思います。 (書いてたら長くなったので3回に分けることにしました^^;)

何度も言ってるかもですが、マスメディアを疑いだしたのは震災以降です。

一時期、マスメディアの原発報道はじめ 色んなことが信用出来なくなって色々情報を集めまくりました。 いくつかチェルノブイリの事例も調べたり、 フリー記者たちの会見にもお邪魔しました。

それでわかったのは、 真実を完全に知るのは僕は無理だということです。

たとえば、記者会見一つとっても、 テレビや新聞では、偏向云々の前に内容を短く編集せざるを得ないし、 実際に記者会見に行こうとしても僕では入れない。 公開されてる会見もフリーの人が開いてくれてましたが、 それすら、呼ぶ人・質問の指名する人・ある程度の情報操作をすることは可能です。 また、被災地の様子とかの一時情報を全て手に入れるのは物理的に不可能です。

そして、仮に枝野さんの発言とかを全て聞いたとして、 彼の発言が正しいかどうかわかりません。 それの検証もしなくてはいけません。 そして、それらの大半は一般人はおろか、 ジャーナリストすら知ることの出来ないブラックボックスです。

さらに今回の震災の件で最も厄介だったのが、 「放射能の影響は誰にも断定出来ない」ということです。 専門家ですら意見が別れるのに僕らがどうやって真実をつかめるのか、 また数値も測り方でだいぶ異なる。 病死したって因果関係も断定出来ない。

今後、それらしい病死が起きたとしても医師側が真実を話すとも限りません。 国を敵に回しかねないから、 「放射能との関係は何とも言えません」 とか言うんでしょう。 それを検証しようと思ったら、物理学に加え医療の知識も必要…

情報量が多すぎる現代で、正しいメディアなんて存在しません。

「じゃぁ、何を信じればいいんだよ!」

とか思いましたが、僕が実感したのは、

「自分で考えろ!」です。

次の記事で、信じるための参考になるものを書きます。 ただ、それすら信じる信じないは『自分で考えろ』なのです。