キュレーション4:報道産業

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報道(ジャーナリズム)におけるキュレーションとは

先日、こんな記事が話題になりました。この記事を書いたのが記者というのがまた乙なところです。 ネットの登場によって、報道の在り方が根本から変わってきました。

ホリエモンの考える「新しいニュース批評の形」を勝手に考えてみる http://hiromikubota.tumblr.com/post/46832485560/imagination-of-horiemons-new-news-media

動画(リアルタイム配信や高画質)の技術が進んだことで、わざわざ現地に行って一時情報を得なくても同等の情報が手に入ります。もちろん動画で伝えられるのは視覚と聴覚なので、匂いや雰囲気、触覚の部分は感じることができませんが、それは今までのメディアでも伝えることが非常に困難なのであまり問題なさそうです。 また、ネットの広大な場所を利用した『全文書き起こし』では、同じく雰囲気やその時の振る舞いは見えません。ただ、動画と併用すれば問題ないのと、現状の報道も主に文字で表れてることから、時間やコストの効率性という面では非常に使い勝手がいい。動画でしかわからない、「なんか瞬き多かったから不安なのでは?」とかは主観に過ぎないので、週刊誌なら取り上げてもいいかもしれませんが、マトモな報道機関など客観的な事実を求める場合には不要な情報に思えます。

最後に、一時情報に触れられないと、ソースの信用性が問題になりますが、現状はリアルタイムな報道もあいまって問題なさそうです。さすがに一社独占になったら、不安ですが。。

つまり、もはや情報自体を手に入れることは誰でもできてしまうということです。

そんな中で重要になってくるのがキュレーションです。 全ての情報が得られるとは言っても、個人が国会答弁を全て見るのも、IWJの報道を追うのも物理的に不可能です。

つまり、情報の簡潔化、高密度化が求められます。池上さんのやってたニュース番組も、一般の人にわかりやすく噛み砕いていて、高度なキュレーションと言えます。 ここにおいては、アートなどにも関わりますが、テキストや写真だけでなく視覚化したり抽象化するのも有効かもしれません。聴覚情報(実況中継みたいな臨場感が出るかも)もアリですが、情報量が減る欠点があります。

また先日、アメリカ大統領選で51州全ての勝敗を言い当てたデータサイエンティストが話題になっていた(らしい)んですが、要は一般の人でも知り得る情報だけで十分すぎるデータが揃うから、あとはそれをどう活かすかという時代なわけです。

そんな時代の中で商品として情報を売っていく際には、専門性というのもキーワードになってきます。通信社の速報や客観的な浅い情報だけではもはや差別化ができない時代なので、各自で専門分野をもって情報の深堀りをしていくことが求められます。実際、ネットメディアはどこも特化してますよね。

というわけで、今や情報が溢れているので、新しい情報を追加するのではなくて、今無数にある玉石混交な情報から取捨選択すること、それに独自の視点や情報を追加して価値のある情報にすること、それをわかりやすく伝えることが現代のジャーナリズムのあり方かもしれません。

<参考文献> 「これからメディア業界でメシ食ってくってどうなんですか?」〜就活生から「OB訪問」されてみた(上) http://www.pressa.jp/blog/2013/04/ob.html

キュレーション3:アート産業(創作者)

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(「芸術」だとなんか固いので「アート」とします。  意味はほとんど同じで、ちょっとポップなイメージで書いてます。)

アートは、創造性・独自性の塊の世界と言われます。 ビジネスや産業にありがちな事情や制約をとっぱらった本当の意味での表現ができるからです。 しばしば、それを追求するあまりアートは政治やルールとぶつかります。表現の限界を作られたくないから。 「政治的な文脈と芸術的な信念、正義感が合体していかないと、本当の芸術はできない」と村上隆が言うように、現行の仕組みとぶつかってないうちは、どこかで理性のブレーキ、もしくは外圧がかかってるのかもしれません。

ただ、どこからが独自性でしょうか? あのトランスフォーマーは、日本のMAD動画を参考にしてると言われています。 宮崎駿も原作があるものを昇華させてるに過ぎません。

ちょっと例えがエンタメ方向へ偏りました。。。 CHINPOMというアート集団がいるんですが、彼らのしていることも、行為自体にオリジナルさがあるとは言えないかもしれません。使う媒体は動画や絵など。岡本太郎のオマージュなんかもあります。 結局世の中のアートは、既存の手法を組み合わせての新手法(見かけ上)の構築や、その手法を組み合わせた新しい(と解釈される)価値観の表現に過ぎないのではないか?と思います。 今あるものを組み合わせる、という意味でキュレーションです。

真に新しく独自な表現であれば、それは誰からも理解されないはずです。受け手にそれを理解するために必要な情報や下地がないからです。

また、アートを仕事たらしめてるのは美術館や評論家の存在で、彼らはキュレーターと呼ばれます。 美術館は様々あるアート作品をテーマに沿って収集して、それで入館料を取ることで美術を産業化させるためのもの。価値の不明な芸術作品を厳選して価格付けしたものとも言えますし、集めてきて展示する行為自体に創造性があります。 また評論家は、本来個々人が自由に感じ取るべきアート作品に対し、一定の指針と絶対的な価値を与えるものです。これによって、一般の人でもアートを身近にすることが可能になりますし、芸術に上下関係をつけることによって(数字に変えることによって)産業化できます。

これらは一見すると、視聴者の自由な感性を狭めているとも言えます。見るべきものを選ばれ、その見方すら与えられているわけなので。

絶対的な尺度のない『アート』という存在において、全ての判断は主観に基づきます。そしてそれは外的要因(キュレーター)に大きく影響されます。 アートがここまで続いてこれて、市民権があるのもキュレーションのおかげかもしれません。

オマケ そもそも日本自体アートな場所であると言えます。 四季や山々や災害と切り離せないこの国は、単純に生活する上では不便です。これを椹木野衣さんは悪い場所と表現しています。もっと気候の安定してて、開拓のしやすい平地で、地震のない方が生きるには良いに決まってます。

つまり、日本人は生まれながらにして機能性だけでなく、刹那的な美を追求してきたと言えます。日本に住む時点で非合理的な選択なのです。そこから自然崇拝や自らを自然の一部と考える哲学が広まってきました。 西洋の「我思う故に我あり」というような、自分が出発点の思想とは根本から異なります。

また八百万の神の教えなどから、万物に命があるという考え(アニミズム)という感性があるからこそのアニメ大国とも言えます。(何かと擬人化したり萌えキャラ化したりするのも、その文化からかもしれません。)

古来より、自分から何かを生み出すのではなく、もとあるものの再発見・素材を活かす、という意味でキュレーションに適した国だとも言えます。

<参考文献> ・日本2.0 株式会社ゲンロン  芸 術 家 の 使 命 と 覚 悟(村上隆)  草木の生起する国 (梅原猛+東浩紀)  3.11後の悪い場所(黒瀬陽平+椹木野衣+東浩紀)

キュレーション2:コンテンツ産業(消費者)

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アキハバラは日本のコンテンツ産業の中心地とも言えます。 かつてアキハバラが栄えた理由として、消費者の見る目があった、ということが挙げられます。ここにあらゆるグッズや情報が集まるという意味で。ここで認められるコンテンツは全国で通用する、といったお墨付きがつくという意味で。それも最近は翳りがでてきましたが。

ネットが一般にも普及して行く中で、アキハバラでなくてもネット民の作品へのチェックが代行されているから、その独自性も薄れてきていると言った形です。踊ってみた、なんかもわざわざアキハバラにいかなくてもネットで交流が出来る時代になったことも挙げられるかもしれません。

また、良いコンテンツの要素として『何時間でも語れる』というものもあります。これもネットで代行ができます。

ネットにより、キャラがプラットフォーム化している、という話もあります。初音ミクや東方なんかが代表例ですが、かつては一消費者に過ぎなかったのが、自分でコンテンツを作り出すことができる。良いコンテンツは瞬く間に広まって行く。(この二次創作ができることが、初音ミクの最大の魅力です。実に良くできた仕組みです。後日その仕組を詳しく書きたいと思います。)

さて、ここで考えることは、良いコンテンツとはなんだろう?ということです。 単純に実力があること?じゃあ実力はどうやって決まるの?

ここでキュレーションというキーワードが登場します。

先ほど少し触れましたが、何時間でも語り合えること、が良いコンテンツかもしれませんし、結果論ですが、アキハバラで認められることが良いコンテンツかもしれません。しかし、いずれにしろそのためには、一部の人からキュレーションされる必要があります。

もちろん広まるためにコンテンツ自体に『面白い』と思わせることは必要ですが、面白さの要素には、先の目の肥えた人が認めた、知っている人が多い。といったことが多分に関係します。娯楽においては、生活必需品のように、絶対的な尺度(栄養・強度・数量)がないため、全ての判断は主観に基づきます。そしてそれは外的要因(周りの評判)に大きく影響されます。 初音ミクも、二次創作を自由にさせていなかったらここまで流行らなかったことはほぼ断言出来ます。自由にすることで人々が交流するきっかけを生み出しているからです。

逆説的ですが、 名画や名曲は、個人の中で作られるのではなく、権威のある人に認められる、みんなが知っていることで名画・名曲たりえます。

この一つの例として最近のゲームがあります。近年、プレステやwiiよりもスマホゲームが人気なことから、スマホゲームのほうが良いコンテンツ、ということになります。しかし、ゲームとしての作りこみやクオリティは固定ゲーム機の方が上だと多くの人は思ってます。ここから、人は数値的な面白さや絶対的な尺度を求めているわけではなく、娯楽のための道具として、文脈や繋がりを求めているとの推測ができます。 個人的にですが、エヴァやまどマギも、コンテンツ自体の面白さではなく、一種の社会的な風潮の中で面白いと感じてしまっている人が多いのでは?と思います。

つまり、良いコンテンツとは、作品それ自体ができた時点で決まるのではなく、それの取り上げ方、キュレーションの仕方次第で変わっていくものだと言えます。(しつこいですが、初音ミクはただの製品としてのVocaloidだけでなく、ネット上での交流のツールとして役立っているところまでがコンテンツと言えます。)

これは何もオタク文化に限ったことだけではありません。次回はアート(創作者)の観点から書いていきます。

オマケ このブログだって、テレビに取り上げられたら、同じ内容でもみんなの見る目も変わるでしょうね^^;

<参考文献> ・日本2.0 株式会社ゲンロン アキハバラ3000:ハイパーリアル(志倉千代丸+福嶋麻衣子+東浩紀) 芸 術 家 の 使 命 と 覚 悟(村上隆)

キュレーション1:広告業界

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休みの間に色んな記事や本を読みました。 それらをまとめようと思っていたら、多岐に渡り過ぎて軽い小論文っぽくなったので、それぞれ整理して5つのパートに分けてお届けしたいと思います。

各パートを繋ぐキーワードはキュレーションです。 キュレーションの意味については、ここでは情報を収集して編集する能力のことを指します。 詳しくはググる感じで。 http://kotobank.jp/word/%E3%82%AD%E3 %83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

僕の興味のある各分野について述べて、自分が何をしたいのかを多角的に分析してみることが目的です。 ちなみにこういった書き物にありがちなんですが、テーマを持って一貫性を意識するあまり色んな事柄をムリヤリ関連付けてしまうケースがあります。当人としては筋が通っていると思って書いてますが、こじつけな部分があったら適宜修正したりしながら読んでください。

今回は一回目として、広告業界について簡単にですがまとめてみます。 参考文献 ロリー・サザーランド:広告マンの人生の教訓 http://www.ted.com/talks/lang/ja/rory_sutherland_life_lessons_from_an_ad_man.html

現代は無形資産の時代と言われています。社会にモノや食べ物が溢れるようになり、人は物質的な豊かさから精神的な豊かさへ移行していきます。物質的な豊かさが一定水準に達したら、生きる上で困ることはなくなり、あとは人々の認識の問題だからです。

例えば、電車の旅を10分縮めるために大規模改修するよりも、そのお金で快適なオプションを提供する方が利用者の満足度が高まるかもしれません(その他の例は動画を参照ください。)

認識の問題となった世界では、無機質な義務付けよりも、感覚に訴えるような説得が有効というデータもあります。大衆意識や無意識に訴えるには理性より感性が重要になってくるというわけです。 例は動画を見てもらうとして、ファスト&スローのファストの部分に語りかけることで、人々の潜在意識が変わってくるからです。

また、動機付けや行動までの完結さ、決定までの要素数が重要になってきます。 人は目的とする事柄の達成に必要な行動量や思考の量が少ないほど、決定を行いやすくなります。(これについては『選択の科学』という本に詳しく載っています。)

本当は理性(『スロー』)で納得していれば一番いいのですが、日々の行動にいちいち理由をつけて合理的に動くことは、一般の人にはできません。そこで登場するのがキュレーションです。

広告は、あらゆる製品の情報やその時の心情を考慮して、必要なときに必要最小限の情報のみ与えることで、決定までのプロセスを簡略化してくれます。 この必要最小限にまとめ上げて、視聴者が理解しやすい形に咀嚼してあげるのが広告の役割です。

また、これは決して広告に限った話ではなく、この無形資産という考えはあらゆることの基盤になります。 最初の方で書いた電車の例にあるように、物質的に満たされている現代では精神的な欲求が求められます。 そして、精神的な欲求は全て主観に基づく相対的なものであり、その主観は外的要因(広告など)によって容易に変化していくのです。

この動画は最後にこう締めくくります。(青字は上記動画からの引用) 「新しいモノを身近にし、身近なものを新しくすること。これが我々広告マンの新しいキャッチコピーだ。」 既存のものに新しい価値を与えることも、新しいことと親しみやすさを繋げることも、どちらもキュレーションです。広告は、今あるものと価値とを繋げるという、無形なものに価値を与える仕事と言えます。

オマケ こういった無形資産の創造はネットでできるでしょうか? 以前、こういった記事を読みました。 ネット広告代理店の人々が“普通”の広告費を理解できない理由

ネット広告の目的はコンバージョンを上げることであって、価値観を醸成することではない、というのが一般的です。対してマス広告は効果こそ明確に測れないものの、価値観の醸成という面では一役買っています。 理性向けのネット広告、感性向けのマス広告、ということで両者の共存する余地はあります。 (スマホ業界がマス広告に重点を置くのは、感性に訴えたいからです。)

当事者意識なんていらない

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過去記事です。

「何事も当事者意識を持つことが大事」なんてよく言われますが、個人的にはなんじゃそりゃ!って感じで思ってます。 というのも、自分に関わることであれば、誰しも当事者意識を持ってると思うからです。

例えば、仕事とかにおいて、ちょい役で手伝わされた案件があるとします。本人としては、あくまでチョイ役なのでそれなりにこなしていたら、上司から「こんな出来でいいわけあるか!当事者意識が足りん!!」とか怒られたとしましょう。

そのとき、イロイロ確認しなきゃいけないと思うのですが、大きく二つあります。 「優先順位」と「こだわり」です。

優先順位

前者に関して、チョイ役の仕事以外に大事な案件を抱えていたかもしれません。そんなときにチョイ役の方にばかり労力をかけていたら本末転倒ですよね。(残業してでもやれ!とか言っちゃうんであればいろいろとアレですし・・・。) 全てに100%労力をかけられないので、有限な時間をどう割り振るかが大事だとまずは思います。

こだわり

次に後者についてですが、一般的にはこちらが「当事者意識」に近いと思います。 優先順位とは言っても、同じ時間でも気持ちの持ちようで全然パフォーマンスが違います。その気持ちの部分は、その案件にどれだけこだわれるかだと思います。 まぁ、これも優先順位に関わってくるんですが、自分で「この時間はやるべきだ!」と優先順位をつけたなら、それをやりきることです。もしやりきるこだわりが持てなかったら、優先順位のつけ方をミスってんだと思います。

「当事者意識持て!」って言われてなんでもかんでも手を出して気合いで頑張るんじゃなくて、優先順位をつければ自然とこだわりも生まれていい成果が出せるんじゃないかと思ってます。

おまけ

壇上でのプレゼンとか、偉い人のお話が、いつでもありがたいかって言われるとそんなことないよね〜とか思います。 別に偉そうなこと言うつもりはなくて、複数人に伝えるときのメッセージは僕向けのものじゃないからです。 あえて少しハズして話してくれてるかもしれないので、そこらへんも踏まえつつ聞けると良いかなと思います。

コメント頂いたので修正

複数人に伝えるときのメッセージは、自分向けにカスタマイズされたものじゃないので不必要な情報も入ってます。全てを鵜呑みにするんじゃなくて、自分で話を価値のあるものにする、いいところだけ受け取る努力を聞く側も必要だと思います。

理性の限界

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過去記事です。

理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

kindleで安かったので以前買ったヤツです。ようやく読み終わりました。

内容は大きく、

  • 選択の限界
  • 科学の限界
  • 論理の限界

みたいなカタチです。

選択の限界

  • 何か選択をするとき、その選択の決め方自体で既に公平性が失われる。

→例えば、小選挙区制では、選挙は八方美人より好き嫌いのはっきり分かれる人が選ばれやすい。投票方式それ自体で、求めたい人物像・結果が見えてくる。

  • アロウの不確定性原理から、完全な民主主義は存在しないことがわかる。

→詳しくは書かないけど、上記のように、民主主義の「決め方」で偏りが出る。じゃぁその「決め方」はどうやって決める?

  • 繰り返し囚人のジレンマにみる、人生の哲学。 「TFT戦略(やられたらやり返す)」が最強。

→ゲーム理論とかではわりと有名な話っぽいですが。 この結果は現実の選択にもわりと当てはまるんじゃなかろうかと思いました。始めから損得のはっきりした選択なら迷うことないけど、こういった事例のときの判断基準としてかなりアリかと。

  • 集団的利得と個人的利得の相違

→結局、理性で判断できるのは損得までじゃないかな、と感じました。それ以上の倫理感は人それぞれで、結論の出るものじゃないし。

科学の限界

  • ミクロの世界では、不確定性原理とか、波と粒子の二面性がある。

→マクロの常識が通じない

  • 不確定性原理は、世界は所詮主観にすぎないと示している。

  • 科学とは、識者の集団的合意で決まるものである。宗教みたいなものとも言える。

いつも思うけど、量子論は哲学に近いんじゃないかと思います。

ミクロの世界は全てが確率論でしかないですが、マクロでは必然性を伴っている。 個々の出来事では、時折神様のいたずらとか思うかもしれないけど、大きな時間軸では、なるようになるんじゃないか。

量子の二面性も不確定性も、所詮僕らが見て感じてるものって表面にしかすぎないし、全て主観にしか過ぎないってことかもしれません。 月があるのは僕らがそう観測しただけで、誰も見ていないときにそこにあることを証明できません。

この「観測されないと存在しない」観念論は、人にも当てはまるんじゃないかと思っていて、他者になにかしらの影響を与えられない人は存在がなかったことと同義になるんじゃないかと。

科学は全て帰納法で決まってきました。あくまで経験則で、それがこれからも等しく起こる保証はありません。

そして、科学は寛容さも併せ持ちます。量子論が出来てニュートン力学が否定されたように、これで完全、といったものは存在しなく、すべての科学者は一生探求者です。

論理の限界

科学はそもそも、限界を定義することとも言える。 科学を盲信するのは宗教に似てる。 言葉を使ってコミュニケーションする時点で、言葉の限界を超えることはできない。

最後に印象に残った文章を。

(とある経済学者曰く)理性の限界を認識せずに既存の合理性ばかりを追い求めている人を、「合理的な愚か者」と呼んでいます。

(とある哲学者曰く)全ての学問は、発見に対する「驚き」13/04/21から始まる

またしても散文気味になってしまいました。。。 が、思ったことは、理性はあくまでこの世を紐解く一つのツールなんだな、ということです。 これがないと、日々全てに驚き、何が起きてるか想定することも考えることもできない動物のようになりますが、これのみに傾倒してもしょせんは動物なので限界がありますよ、と。

ちなみに、初音ミクの誰もが知ってるであろうこの曲は、 「科学の限界を超えて、私は来たんだよ」で始まります。 初めて聞いたときはガチで感動して泣きそうでした。 科学もコンピュータも人も超えた初音ミクさんに限界はないんですよ!

Goal in the Future

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過去記事です.

ようやくの週末です。 いつもより遅く起きて、ずっと取っておいてた「相棒11」の最終回をようやく見ました! すげぇ面白いのと、見終わった後にモヤモヤとするカンジはいつもの相棒ならではで楽しめました♪

さて、内容についてはあまり語りませんが、思ったことを少し。

感想

作中に「酒壺のヘビ」という言葉が出てきました。酒壺で酒を作っていたが、中を見るとヘビが入っていたので、壷ごと捨ててしまった人がいて、それを拾った人が酒を飲んでみたらとても美味しかったという古典(?)みたいです。 要は、ある人にとっては価値のないものでも、別のとある人からみたら非常に価値のあるものだった、ということなのですが、作中では2度ほど出てきました。

一度目は、「バカには価値が分からないけど優秀なヤツなら上手く活用できる」という意味で.

二度目は、「頭が良くても狡い人より、純粋な人間の方が本当の価値を理解できる」という意味で。

どうも二度目の意味が通説みたいですが(まぁ古くから言い伝えられてるものだから)、どちらも正しいと思います。

少し逸れますが、作中には、ある人を愛していたが、事件に巻き込まれ情報が錯綜して思考を放棄してしまった、愛に生きる純粋な女性がいました。 最後は皮肉なメッセージとともに裏切られてしましたが。。。

ここで話が戻りますが、「純粋な人間でないと人生の本当の価値はわからない」という話でしたが、実際に純粋な人が悲惨な状態になる様子も描かれていたんです。 つまり、モチロン人として純粋さを忘れないことは重要ですが、同時に賢くなることもまた必要なんです。

日本はいちおう資本主義で動いてます。 その中でただ純粋さのみを持っていると他人に利用されたり騙されたりします。 また、「人とは、社会とはこうあるべきだ!」とか「海賊王におれはなる!」とか理想を語ったところで、それを実現できる能力や頭がないと、誰からも相手にされない社会です。

というわけで、 「いつかベンチャー興してビッグになる!」みたいな人は、目的含めて純粋さの方を、 「ただ好きだからやってます」みたいな人は、社会で生きてくために知恵の方を、 補えるとより有意義になると思います。

自分の目標に

そういったことを踏まえて、自分の目標について少し。

目標自体については、以前よりちょこちょこと書いているのでそちらを見て頂ければと思います。(たぶん右上の検索枠で「目標」とか「将来」とか入れてもらえればそれっぽいのが出るかと。)

で、実際の行動としていまはとあるIT企業に入りましたが、僕は別にプログラミングが大好きとか、ITが大好きだとか、そんな感じではありません。 ただ自分の目標とかと照らし合わせたら便利だなーとか思ってる程度です。

かといって好きなことじゃないと続けられないのですが、僕の好きなことは、真実とか倫理とか道徳とかです。 で、その欲求を満たすためには、逆説的ですが自分の欲を抑えていって人に喜んでもらうことです。 そのためには他者の思想・価値観と言った情報を得ることや伝えることが必要で、そのためのツールで一番便利なのがITだと思ってる程度です。 だから、情報を伝える媒体なら、テレビでも広告でも芸術でも音楽でも大好きだし、ニュースやブログなんかも好きで漁ってます。

将来はジャーナリストになりたかったりしますが、始めに書いた通り、純粋なだけじゃ行きていけない世の中です。 だから自立するために、まずは知見をつけ、社会的地位をちょっとでも上げて、表現能力も上げなければと思ってるので、いまこの環境にいます。 表向きの、ロジックの世界とか、成長しなきゃとか、勝たなければいけないとかの、その上にある純粋さを大切にしたいと思います。

時期が時期なのでこのくらいにしますが、もし興味持ってくれた人がいたら、まともに聞いてくれたらまともに答えますのでぜひお声掛けいただければと。

目標と日々

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過去記事です。

将来、何か目標があるのであれば、そこに向かって逆算していって、日々の行動を考えろ、っていうのはよく言われることかと思います。 ただ、目標はあっても、そこにどうやって行ったら良いかも、どのくらいかかるのかもわからないし、絶対途中でアクシデントとかラッキーとかあるじゃないですか。 そう考えたら、逆算なんてとてもできない、もしくは、フワッとしたテキトーなものになっちゃう、と考えたくなります。

極限状態の時に素が出る

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今週もお疲れさまです。

個人的に消化不良の状態での週末だったりします。 いろんな慣れないことでも楽しもうと思ってたけど、実際ハマると辛いです。。 普段はマジメぶって記事を書いてますが、こういうときには他人に頼ったり甘えたりしたくなります。 だけど社会人として、ビジネスに携わる身としては、そんなんじゃいけないんだろうなぁというのはあります。

一貫性

学生の間の、友達とか恋人みたいな個人の間では甘える方も甘えられる方も精神的な充足はありますが、 ビジネスだと本人同士の感情だけでは判断できません。 「あいつすっごく愛想よくてイイヤツなんすよ〜」とか言われたところで、 「で、仕事の方は?」って言われて答えられなかったら会社においてはダメなやつです。 なにより人として愛嬌があっても、言動に一貫性がないと第三者から信用されず、 仕事などを任せてもらえないかもしれません。 相手や環境によってコロコロ態度が変わるようじゃ、 安心して任せられないし言葉が軽くなってしまいますよね。

普段威勢のいいこと言ってる人も、 こういうときに弱音吐いたり甘えたりしてるうちは精神的にまだまだ弱いんだな、と自分含めて思います。

というわけで、このブログにおいても一貫性を保ちたいと思います。 なんかの際に、信用してもらえるように。

人生、日々デバッグ

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過去記事です。

お疲れさまです。 ほとんどの人が、課題でいっぱいいっぱいだと思います。

で、今日はデバッグのお話。