火の鳥

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火の鳥 1

手塚治虫の「火の鳥」です。 ヤフーのブックアプリで一週間無料だったので全部読みました。 (ちなみに、ヤフーのアプリはひどく使い勝手が悪くて、これが有料じゃ絶対買わないな、と思うような出来でした。無料キャンペーンが逆効果なんだけど。。。)

では本題です

先日の記事で書いた、「分析的システム」「自律的システム」や、「利己的遺伝子」の考え方を用いて書いていきます。単語については前記事を見てください。 分析的システムと自律的システムを別角度から捉えたファスト&スローはこちら

人の様々な行動の根源には、これらのシステムが関与していると思います。 ここで、もう少し踏み込んで考えます。

人が考慮する範囲と、その時のシステムをこんな感じで定義してみます。 * 自分のみ(自己中心的) → 分析的システム * 自分とその身内(家族・国・民族など) → 分析的システム * 人間全体 → 自律的システム * 地球全体 → 超理性的システム(僕の造語。仏教思想みたいなもの)

いくつか分類しましたが、人の意見の相違や対立は、ここの一致が取れないことで起こるのではと感じました。

また、そもそも生物として、自己の遺伝子を後世に伝えることが第一目標である「利己的遺伝子」という考え方があります。これは種全体の繁栄もそうだけど、自身の遺伝子を引き継ぎたい欲求もあるはずです。

思ったことを箇条書き的に列挙していきます。

日本人的な考え方

→この作品は良くも悪くも日本人的思想(もしくは仏教思想)で書かれてる本だなぁと思いました。大きなテーマは、万物流転とか輪廻転生とかでしょうか。 西洋と違って、あらゆる生き物を含めた地球全体を「生物家族」としている様が見て取れます。(その辺の背景は過去に書きました。

日本人ならこの考え方に少なからず共感できるのではと思いますが、共感できる場合は、『善い考え方』とは超理性的システムでもって、地球を生物家族としてみなすことだという価値観を植え付けられているのではないでしょうか? この思想に共感できるのに自分の普段の行動や考えがそうなっていないのだとしたら、どこかで捻れてしまっているため、たぶん不幸な生き方です。

自分の考える『善い行い』が何なのかを考えると、日々の行動がもう少し変わってくるんじゃないかなと感じます。

栄枯盛衰や天変地異

→ずっと同じ遺伝子が栄えてしまうと生態系のシステムとして歪んでくるので、適宜調整するようにできているのではないか。

地球は1つの生物だとする考え方があります。そして理由はわかりませんが、利己的遺伝子は後世に残ることを目的としています。 ずっと環境が同じだと、遺伝子としてはその環境にマッチしたもののみが栄えていき、その他は駆逐されてしまう恐れがあります。そうすると変化が起きた際に対応できなくなってしまうので、多様性を維持するために、適宜天変地異でもってリフレッシュするのではないかと思いました。

人間レベルでも同じで、ずっと同じ政権で同じような環境が続くと多様性がなくなるので、何か高次な力によって適宜調整をされていくのではないかと思います。

因果応報

→仏教などで良く語られますが、そもそもこの考え方が生まれた背景として、自分のために他者になにか危害を加えた場合、相手も分析的システムでもって自己を守ろうとします。そうするとお互いに自己のことのみを考えてしまい近視眼的になってしまうので、それを諌めようとしてるのではないかと思います。 自律的システムでもって遺伝子の存続を考えた時に、他者を殺してしまうことはその遺伝子が引き継がれなくなることで、それは人類全体で考えた時にマイナスになってしまうという考えがあったのではないかと思います。(人も他の生き物も変わらないという考えのもと、他の生物にも適用されたのではないかと。) 実際にはその影響は無視出来るような微々たるものだと思いますが、先の世代に残すマイナスは少しでも減らそうとする日本人的思想です。

不死に憧れる理由

→人は一度は不死に憧れるかもしれませんが、おそらくその思想の背景には分析的システムがあります。 生物が有性生殖をするようになったのは多様性のためです。そこを同じ遺伝子がずーっと生き長らえる価値はありません。(無性生殖なら意味がありますが、人は違います。) なので、ただ自身の(個の)存続を願う意思に遺伝子は関係ありません。要は自分勝手な発想です。

人はとかく自分中心に考えがち

→人は主観でもって自分中心に考えたがりますが、俯瞰的にみると自分なんてちっぽけな存在です。それを盲信するのは、今だに地球が中心だという天動説を主張するようなものです。 種の繁栄のためには、国や民族が違っても人同士争う意味が無いし、他の生物もいなくては当然食物連鎖として成り立たないのでむやみな殺生や汚染物質垂れ流しはマイナスです。

法律や道徳、倫理の由来

→法律はその集団(社会)が機能するように分析的システムでもって考えられたものだと思います。一方で倫理や道徳はもう少し広くて、人間が繁栄するには社会としてどうあるべきかという自律的システムから成るものだと思います。(道徳と倫理の違いは諸説あるっぽいので割愛)

輪廻転生

→人を地球家族の一員とみなす超理性的な考え方。人に限らず、どれか1つの種・遺伝子が生き残っていれば是とする超理性的システムが根底にあるのでは。

一時の感情に身を任せる

→作中で何度も、感情的になって行った行動に後で悔いるシーンが出てきます。この行動心理を考えるのはちょっとややこしいです。 おそらくカッとなるのは自己を守る自律的システムの表れだと思います。この時、相手はおそらく自分とは違う種族と認識している、もしくは奇行種として認識しているのでしょう。その後、分析的システムが働き、自分にとって必要だったと理解して後悔するのではないかと。

人同士の争い

→古くから人の争いは起きてしまうものです。作中にも幾度と無く起こり、火の鳥が悲しみながら傍観していました。 なんで同種族同士で争うのかについては、おそらく自分の身内の繁栄のみ考える分析的システムが働くからです。 作中に、犬と猿が争い合う例がありました。 彼らは元々仲が良かったのですが、互いの一族が繁栄してきて、今のままでは土地や食料が足りなくなることから、一族の繁栄のために領土を賭けて争い合ったのです。こちらは種が違いますが、大局的に(超理性的システムで)考えると、同じ生物同士なぜ争い合うのか、という話になります。

種の繁栄のため仕方なくというのであれば、弱肉強食の掟からもまぁ不可避なことだとは思います。翻って現代人はどうでしょうか?生きていくのに問題はなくても、低次の欲求を満足させたいがために争ってませんか?その争いは、短期的には得でも、長期的に子孫の繁栄のためにはマイナスになりませんか?

嫉妬心とは?

→人はなぜ嫉妬をするのでしょうか? というより、生物も嫉妬するのでしょうか? おそらく嫉妬とは、分析的システムでもって他人と自分を比較した時にのみ生じるものだと思います。生物に本来備わっているもののようには思えません。思いっきり不要な感情だと思います。

正しい人、清い人とは

→定義として、正しい人は超理性的システムで持って、世の中全体の利益を考えられる人(自分の家族や種族さえ良ければいいというのは正しくないです)。清い人もほぼ同義で、こちらは自分の低次な欲求より周囲を優先出来る人。

いつの世も権力を振りかざす輩は存在します。そんな暴君が作中何度も出てきて、その度に腹立たしく思ってました。他の被害者のために正しい人が立ち上がったとしても、暴君の策略・権力によって踏み潰されてしまうことも何度もありました。 また、性根の腐った輩が自分勝手な振る舞いをし、清い人被害を被りますが、清い人は相手のそんな言動すら赦してしまいます。そしてまた自分勝手な行動の被害に遭う、この繰り返しです。(DV夫と妻の関係もこんなものなのかも)

正しい人・清い人が報われる世の中を作りたい、と常々考えています。それには権力を正しく使わなければならない、騙す人よりも頭が良くならなければいけない。いくら清く正しく生きていても、生活できないほどお金がなければ魂を売るのも致し方ないです。そんな世の中にはしたくない。正しい人が正しい行いをしても誰も嫉妬をせず、清い人が清いままで居続けられるような社会を作りたいです。

本来、人は幸せになるために社会を作り、宗教を作り、仕事をしてきたはずです。「自分だけがより多くを」と考えだした時にそれはおかしくなります。人がみな幸せになるため、という目的からズレると火の鳥に笑われるような気がします。

オマケ: ウルトラマンみたいに生きたい。

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック

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リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

たまには技術的な本を。

初心者なりに読んだ備忘録でしか無いので、既にプログラマの方にも、全くわからない方にも、面白くないようなすごい中途半端な内容になると思います^^;悪しからず。。。

そもそもコードは、マジメに作るならなら「とりあえず書いたらそれっきり」というものは少なそうです。というのも、テストで何かミスがあったら適宜修正する必要があるし、新しく何かを作るときにも過去のモノを流用できるならそのほうがコストがかからないから。 また、先の「2000年問題」も、当時の開発者たちは自分の作ったプログラムがそんなに長いこと使われると想定していなかったために起きたものだと聞いています。

良いコードを書くことは、他人(半年後の忘れてる自分も含む)が読みやすいようにするということで、読みやすければそれだけ自分の作品が長持ちし、将来のコスト削減にもつながります。

個々のテクニックを箇条書きで。

命名には意味を込める。(メソッドや変数名)

  • 汎用的な単語よりも、動作が具体的な単語を選ぶ(例:getやmakeは抽象的すぎる)
  • 逆に汎用的な単語を使うときは、「一時的なもの」「それ以上の説明が不要なもの」のとき(例:tmpやi)
  • イテレータを複数使うときは、それぞれ何に使われているかわかるようにする。
  • 単位をはっきりさせる(例:時間(ミリ秒)→t_ms)

コメントはコードから読み取りにくいものを

  • まずはコードを直せないか考える(優れたコード > 見にくいコード + 優れたコメント)
  • メソッドのそもそも行いたい処理やを書く
  • 試行の結果を書く(なぜこうなったのか明らかにするためと、他人が同じ試行をするムダを省くため)
  • 他人が気になるだろうな、と思うところはとりあえず書いてみる。
  • 後で直すべきところ、もっと簡潔に書けそうなところにはメモを残しておく。(修正ポイントが明確になるため)

条件分岐

  • 否定より肯定でまとめる。(統一した方がみやすい)
  • 単純な条件を先に(思考をすっきりさせるため)
  • 目立つ条件を先に(目立つ方に意識が行きがちなため)
  • do while〜や三項演算子は避ける(そもそも直感的な考え方でないため。他の一般的な手法で代用できるため)
  • 何層にもネストはしない。(人がスタックできるのはせいぜい3つか4つのコトまで。それ以上は追えない→ヌケモレが起こりやすい、修正したくない)

その他

  • 1つのメソッドは20行までが目安(それ以上長くなる時は分割できないか考えるべき)
  • 細かい関数をたくさん作ると再利用ができる(ただし細かくし過ぎるとややこしくなる)
  • 標準ライブラリの中身を知っておくべき(わざわざ自分で用意するエンジニアが多いが、正直時間のムダ)
  • 一般的なエンジニアが一日に書くコード数の平均は10行(ほとんどが再利用やテスト。そのため綺麗なコードは重要)
  • 頭がいいコードには気をつける(自分が理解できるのはずっとそのことを考えていたから。初見の人にもわかるコードが良いコード。)
  • 逆から考えなおすことがいい場合も(○○と××を含む、よりも△△以外、とする方がわかりやすかったり)
  • 変数はなるべく不変にする。(理解しやすい)
  • スコープをなるべく狭く(保守性のためにも、人のスタックの限界のためにも。)
  • なるべく結合を弱く(テストが楽。予期せぬ動作が起こりにくい)

まとめ

良いコードを書くということは文章を書くのに似てます。相手の理解度を慮って、簡潔に伝えたいことを伝えることだから。 僕はプログラミング大好きなギークでは無いので、ただコーディングすること自体に興味はありません。

  • そもそもなぜ作るのか?
  • どうやったら効率良くなるのか?
  • 相手に理解してもらうにはどうしたらいいのか? を考えることの方が好きです。

この本の内容を意識して、相手に伝わる文章を書く練習としてコードを書いて行きたいと思います。

君の会社は五年後あるか?

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君の会社は五年後あるか? 最も優秀な人材が興奮する組織とは (角川oneテーマ21)

ワークスアプリケーションズ代表の牧野さんの著書。

総論として、書いてあることは至極まっとうで、斬新な視点と納得いくロジックがあって読んでてワクワクします。

が、実際に中身が伴っているかどうかはまた別です。 amazonのレビューでも、大方好評なんですが、「良いことを言ってるだけで現実が伴ってない」といった評価も散見されます。パレートの法則(80:20のアレ)を持ちだして来る人もいます。

本当に優秀な人材だけ集められたらスゴイことだと思います。 が、優秀な人材って才能面と精神面があると思っていて、 いくら才能に溢れてても、それに驕って努力を怠るようであれば使える人材にはならないような気がします。この本に書かれている内容がホントかウソか、これから確かめてみたいですね。

セルフエナジャイズの資料としてオススメです♪

感性の限界

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感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

限界シリーズ3作目です。

そもそも感じるとは何か

→物理的には、5感が何かしらの刺激を受け取って認識している状態。が、ここにあるモノを認識するためには、『ここにモノがある認識』という前提が必要で、その『認識』は他の誰かが認識したものなんじゃないか?という自己矛盾があります。 つまり物理的なアプローチでは『感じる』ことの本質にはたどり着けません。

心理学、もとい脳科学では、ただの感情ではなく客観的な事象が必要、というのが現代式の解釈です。例えば、『恋に落ちる』瞬間、脳ではノルアドレナリンとドーパミンが分泌されている状態だということです。 恋や恐怖などといった感情は、全て脳科学では物質の分泌が行われているだけでしかない。一定期間過ぎると脳内のノルアドレナリンとドーパミンの分泌は収まる、もしくは慣れる。そんなものらしいです。

また、5感についてもそれぞれ異なっていて、味覚や触覚は、生命に直結する自体が多いので、ほとんど反射的な原始的行動をするらしいです。(例:腐ったものを食べると吐く。熱いものを触るととっさに引っ込める) 一方で視覚・聴覚は即座に生命に直結しないので、客観的な概念が身についたようです。芸術作品が語り継がれていくのも、客観的な概念があってのことです。(においや肌触りの芸術品ってほとんど聞かないですよね)

人はどうやって判断しているのか

→人間は自分が思ってるほど理性的ではないようです。それは『ファスト&スロー』の頃から言っているとおり、脳内に異なるシステムがあるからです。 ここでは大きく、分析的システムと自立的システムで書かれています。 分析的システムは理性的で個体の存続を第一に考える。 自律的システムは本能的で種の存続を第一に考える。

人間はだんだんと分析的システムが優位になってきた。コーヒーなどの苦味を嗜好するのも、生物本来とは離れたもの。

人は合理的でない選択肢を意図的に選ぶ。(例:ギャンブル) そして、自身の認知的不協和を解消させるために、むりやり正当化しようとします。ギャンブルとかソシャゲとか典型かと思います。お金を使う言い訳がたくさん用意されています。(認知的不協和の解消の例は他にもイロイロなところで見られますよね。思い込むのもコレです) 一般に人は「得にはリスクを避け、損はリスクを取る」という特徴があるそうです。なぜなのかは知りませんが。

あと、有名なミルグラム実験。詳しくはググってください。

また、無意識的に誘導されるのもあります。これは他の本でも良く出てくるものですが、アンカリング効果について、悪名高い『マクドナルド・コーヒー事件(ステラリーベック)』があります。

本来、生物の役割は遺伝子を後世に運ぶための船です。働きアリとかが利他的に見える行動をするのも、カマキリのオスが性行為中にメスに食べられたりするのも、鮭がボロボロになりながら川を昇るのも、遺伝子を後世に伝えるためです。『利己的遺伝子』という言葉がありますが、これが自律的システムです。

一方、人間は個を優先する分析的システムが強くなりました。様々な争い事などは、全てココから来てるのかもしれません。社会が不条理なのも、精神を病む人が増えてるのも2つのシステムが相反するからかもしれません。(性善説は自律的システム、性悪説は分析的システムかもしれませんね。)

もっと現代人は自律的システムに従うといいんじゃないかな、と思います。これは感情的になるのとはちょっと違います。

決定論か非決定論か

→運命は生まれた時から決まっている、という決定論と、全てのことは不確実性に満ちている非決定論があります。 一般的には、マクロでは決定しててミクロでは決定していない。という『柔らかい決定論説』が有力なようです。 理由は簡単で、非決定論を信じるほうが生きるのが楽しく、決定論を信じると運命への探究心が沸くから。いいとこどりして楽しもうよ、って話です。

自己の存在の限界

→自己はジーンかミームによって、継承される。(ジーン:遺伝子、 ミーム:観念の継承)

女性は女として生まれるのではなく女になる、という言葉があります。生まれたときはお互いに性を意識していないはずです。が、社会の中でそういった区別をされ、立ち居振る舞いを教育されます。 歴史的に多くの文化圏で『男性は権力・公的・合理的』になり、『女性は弱者・私的・感情的』になる。これは先天的なものよりも、後天的なものが大きいらしい。日本でもまだそういった風土が残ってるかもしれません。

小集団の中では情報の選択も『自然と』制限される。これにより、その集団にますます傾倒するようになる。(宗教とかその類です。視野狭窄になりやすい。)

人に自由意志は存在しないとする実験結果がある。手を動かすとき、脳が手を動かす司令を出すと知覚する前に、脳は司令を出す準備をはじめているとのこと。コレに従うと、自由意志だと思っていたものは全て無意識に支配されているだけの偽物になる。

『私』が在るということは私の脳内でのみ起きている。そして自由意識は存在しない可能性もある。つまり、私の証明は私の中でしかできない。

(ちなみに、これらの話は次回の記事「火の鳥」に活かされる予定です。)

コメント

  • 1

分析的システムと自律的システムの定義がイマイチ直観にあわない… 分析的システムのほうが時間的スパンの短い判断であるため、「自分」の個別的生(テンポラリーな脳内物質の分泌)しか射程に入らない、という感じでしょうか? 買っちゃいそうだ!笑

  • 2

このへん、主張する人によって微妙に変わるので難しいんですが、以前書いた『ファスト&スロー』で、ファストが自律的システム、スローが分析的システムだと思われます^^;

コメントくれたので言うと、分析的システムは思考するのに時間かかる(脳のリソース使う)けど、自分のコトを考えるから、遺伝子レベルで言うと時間的スパンは短いのかな。

知性の限界

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知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

理性の限界に続く限界シリーズ第二弾です。

以前kindleでセールやってた時に買ったのをようやく読みました。まだ3つ目が残ってるので、それも今度読みます。

内容は大きく、

  • 言語の限界
  • 予測の限界
  • 思考の限界

です。

一部、引用と主観とがごっちゃになってます。この記事を『自分の言葉』とすると剽窃とかになりかねないので、自分の言葉じゃない、と初めに言っておきます。

言語の限界

ウィトゲンシュタインは、「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことは沈黙しなければならない。」と述べる。要するに答えの出ないような哲学的思考全般について、どれだけ語ってもムダだと喝破し、語りえないことは、そもそもが存在しない擬似問題としています。 →昔は、針の上で天使が何人踊れるか、などといったことを議論していた。そもそも天使を体積のあるものと定義するかどうかで結論がことなる時点で答えのでる議論とは言えません。

ただ、晩年ではそれを否定。言語は『文化的な共有があるときに作用するもの』とし、造語や、概念の共有されていない単語は無意味だとする。 思考は言語に依存する。世界の見方は言語に影響を受ける。 →これに関して、「虹は何色に見えるかは文化によって異なる。」といった話もあるように、文化によって世界の捉え方は大きく異なります。そして、その中で生まれた言語についても同様で、言語それ自体が、文化の違う相手には異なった捉え方をされてしまいます。 そもそも、お互いの認識を絶対のものとする基準が存在しないので、すべては相対的にしか判断できない。

過去に、ソーカル事件もしくは知的詐欺と呼ばれる事例がありました。同じ言語を使っていてもミスコミュニケーションはよくあることです。日本でも原発問題を始め、言葉の理解の難しさがとてつもない影響を与えています。

自然科学などの、客観的な批判に耐えうる言語で語らなくてはいけない。

神の話や心の話も同様で、そもそも言葉の定義が曖昧な時点で結論がでるはずはない。そしてそれらは、現実に絶対的なものさしや基準がないため、言葉の定義を厳密に行うことは本質的に不可能である。(よって語りえない)

予測の限界

複雑系の推測は事実上不可能。 →バタフライ効果というものがあります。その事象を引き起こす様々な因数があるなかで、一つを測定誤差の範囲でずらしただけで、全体の結果が大きく変わることを意味します。一般に人は帰納法によって予測をしているが、複雑系の事象は因子が多すぎて、また蝶の羽ばたき程度の誤差でも大きく結果が変わってしまうことがあるため、推測が不可能なのです。鉛筆の芯の破壊にしても、密度や固さのほんの誤差でも結果は大きく異なります。雷や地震も同様でしょう。

帰納法という考え方は論理的でない。 →現代の科学を始め、様々な法則や決まりは帰納法で証明されています。が、本質的にはこれまで合っているからといって、明日もそうなる論理的な繋がりは何もありません。太陽が明日も昇ることは思考の上ではものすごい確度で合っていると言えますが、実際にそうなる根拠は何もないのです。引力や核融合などを用いて立証しようとしても、その理論がそもそも帰納法によって生まれたものなので、さらにその根拠を証明して上げる必要があり、ぞれを繰り返すと最後には何の論理的根拠も見いだせなくなります。

思考の限界

炭素などの元素、無機物から生命体アミノ酸が生まれる可能性は、ガラクタの上を嵐が過ぎたら、後にボーイング飛行場ができたくらいありえないらしい。宇宙物理における6つの定数は、そのどれか一つが少しずれていても宇宙の法則が崩壊することから「微調整された」数であるとされているらしい。 自然は、誰かが設計したとした思えないほど整然としている。つまり、設計者としての神を認めることになる。 →つまりこれらは偶然そうなったのではなく、何かしらの見えざる力によって整えられた条件、と考えるのが妥当ということです。 ただ僕の意見としては、そもそも宇宙を測る人間の理論で見ているからそういった定数が生まれているだけなのでは?と思います。様々な要素が複雑に絡み合って、結果安定しているから今の生物があり、人間が存在でき、ひいてこういった問題を思考できる。一方で、『微調整』されなかった世界については生物がいないので知り得ない。 戦闘機で補強すべき箇所に関して考えるときも、壊れた戦闘機だけを見ても、そもそも撃ち落とされた戦闘機は調べようがないので、そもそもサンプルが偏っている、という話に似ていると思う。

別の例でいくと、一億パターンの絵の束があって、とあるパターンの絵が選ばれたあとに、「この絵を引く確率は一億分の一だ。これは奇跡だ」と言ってるようなものです。他のパターンを引いても同じことを言っていたでしょう。

まとめ

全体を通して、限界というある種ネガティブな題材ですが、これは決して範囲を縮めるとか諦めの境地でなく、他者と考えを共有するにはこのルールがあると伝わりやすい、という程度のものだと感じています。ウィトゲンシュタインも、「語りうることは明らかに語りうるのであって、語り合えないことは沈黙しなければならない。」としています。要は、社会的に行動する際は、ここでの限界以上のことを考えるのは非効率(というか無意味)ということです。 ただし、自分で夢想する分には好きで構いません。ファイヤアーベントも、「なんでもかまわない」と言っています。自分の好きなように思考し、共有できるところは共有できるようなコンテクスト(言葉・文化)で共有し、他者の価値観も理解する。これらが大切かと思います。

鋼鉄の華っ柱

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休日はいつもの短期的な話でなくて長期的な話をしようかと。

鋼鉄の華っ柱 1 (少年サンデーコミックス)

僕はこの人のマンガが大好きです。 道士郎でござるは全巻持ってて大好きなのですが、最近あまりマンガを読まなくなったのでずっと買っていなかったこの本。こないだブックオフで見つけました。

このマンガは、不条理な社会の中で決して信念を曲げない主人公のお話です。それがもう最高にカッコイイんです!! 彼の行動の指針はカッコイイかどうかです。カッコつけるためなら、どんな困難なことでもするし、どんな手も使います。 もちろん、自分が損をするようなこともないよう努めますが、カッコつけるためなら損や暴力を受けることも厭いません。普通それだけだとただの良い人で損して終わるところですが、彼は違います。詳しくは本書で。

まぁ、細かい内容は本書を読んで貰えればいいとして、

最近、ホントに一部ですが他の同期の目標とかを聞ける機会が増えてきました。 基本的に、女性は子育て後や家事との両立のことをみんな同じくらいに考えてて、男性は子供みたいな目標の人からあまり考えてない人まで幅広くいる、そんな印象を受けます。

さらに聞いていくと、だいたいが「そんなにしっかりとは考えてない」「楽がしたい」の2つにわかれます。 前者の人は、僕がつっこんでくと嫌そうな顔や決まりの悪い顔をされてしまいます。 後者の人は、楽したいが最終目標になってそこで思考は終了しているようです。それ以上聞くと、恥ずかしいことだと思ってるのか、やっぱり微妙な顔をします。

僕が聞いていって、途中で「もういいだろ」って顔する人たちって、ホントに自分でそれを目標にしてるんですか?恥ずかしがるのって、自分の中でもきちんと納得できてないんじゃないですか? 逆の立場で、もし僕が自分の考えてなかったところまでつっこまれたら、むしろ気づかせてくれてありがとうといいたいところです。(実際出来てないけども。。。)

自分の信念を曲げないためには、精神的なものだけでなく、頭や行動力といった力も伴っていなければなりません。 このマンガの主人公みたいに、損得より上の次元で信念を定め、何を言われても自分の信念は曲げないでそれを達成するために思考を巡らし行動し、いつも心に余裕を持つ、そんな風に生きたいなと個人的には思っています。

このマンガもイナズマ戦隊も、損得なんてのを超えた世の中の大事なことを教えてくれます。 (爆音でイヤホン推奨です。)

オマケ

だいたい、まだ課題を終えてない人たちってホントに休日返上で死ぬ気でやってるんですか?見る限りだとやってないようですが・・・。 別に向こう側も強制なんてしないし、そこまで言うなよってのは至極まっとうな意見なんですが、再三偉そうなこと言って申し訳ないけど、それって自分の目標は割とどうでもいいと思ってますよね?それならウチじゃないところ行ったほうが良いでしょ、といつも思ってます。 「休日はリフレッシュするほうが、平日頑張れるから効率がいい」っていう人もいますが、それってウチの代表の話聞いてた? それともあえてシカトしてる?

「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命

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ようやく土日返上のイロイロが片付いて自分の時間が持てるようになってきたので、前から積んでたコレを読みました。

「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命 (角川oneテーマ21)

色んな国を箇条書きにしてまとめてみます。

アラブ全体

多様な人々が共存してるから政教分離 イスラム教の中にはザカート(喜捨)という文化があり社会主義的。ただ、共産主義とは違うんだよ アラブではリーダーが変わるより、強いリーダーが君臨した方が社会が安定するとの思想を持っている。→なので腐敗が起こりやすいのはある種当然 有名なアルジャジーラはカタール政府の支援で成り立っていて、目的はは小国の存在アピールだった。決して公正なメディアではない。

チュニジア

アラブの春の発端の国 リベラルな若者が革命を始めたが、イスラム原理主義が横から政権を奪ってしまった。彼らは組織化しているから政治に関心がなくても投票する。 政府を倒すまではリーダーはいらない。目的があるから。それ以降は共通な指標が別に必要なため、リーダーが求められる。

エジプト

革命後も、実質は軍が支配したまま アメリカも反米になると困るので裏からコントロールしていた。 政府の不正を正す、ことは共通していたがその後のビジョンがなかった。

リビア

カダフィはもともとそこまで腐敗していなく、国際的なイメージも良かった 彼は政治的にメディアに嵌められた。 アメリカに嫌われ、アラブ諸国に失望したためアフリカと仲良くした。 そしてアフリカの外交交渉力を上げるためアフリカ合衆国を作ろうとしていたため、交渉で損をする側の欧米から嫌われた。 結果、メディアで偏向報道が溢れた。 アルジャジーラも偏向して、カダフィに不利になるような不確定な情報を流し、欧米メディアが鵜呑みにして拡散した。

バーレーン

多数派のシーア派が、少数派のスンニ派に搾取されていたところから暴動が起きている。

イラン

シーア派代表として欧米と対立する保守派のイメージだが、意外とスンニ派よりリベラルなことが多い。

イエメン

かなり貧しい国として、反乱が起きた。アルカイダの活動拠点でもあるので、特に秩序回復が求められていた。 が、資源も乏しく経済再興の見込みがないからしばらくは情勢不安っぽい

サウジアラビア

アラブの衛星や広告の大半を牛耳っているため、メディアも批判できない国 スンニ派が王家や多数派を占め、シーア派が反抗したが、ほとんど報道されず。 国民も、多数派は政府の腐敗に目をつぶり裕福な生活を謳歌している。 他にも差別があったりするが、人権団体も欧米や王家には強く言えず黙認されている。

カタール

小国だが一人当たりの生活水準がトップレベルの国と言われている。 アルジャジーラを作った国 そのため政府の批判は報道されない。

オマーン

サウジアラビアの経済的援助もあり、初期の段階で王家が改革を約束したため、あまり激しくならなかったため報道はほとんどされなかった。

ヨルダン モロッコ

オマーンと似た状態

イラク

アメリカとの戦争以降、宗派の意識が強くなってしまった。また、報道に関してはアメリカ側の規制が大きい。「アメリカが作った政治システムに問題がある」と思われたら嫌だから。 だが、イラクとしてはアメリカのコントロールを離れた民主主義に傾いていて、アメリカの戦争が無駄になりかけている。 女性進出も盛んで実はリベラルな国だったりするが、そういった部分は報道されない。

シリア

バアス党が治める。政教分離が掲げられているが、メディアでは対立を煽るような報道が多い。 元々は小規模の反乱だったのが、メディアに取り上げられ、アサド政権が悪者扱いされ、支援と称して反対勢力へ武器が密輸入されていくという大事に。 アメリカにとっても、イランやロシア側のアサド政権を叩くことは有効である。 シリアに関しては、今やネットは反体制側でなく、もっと別の力のある組織が裏で情報操作したり(プロパガンダ)、個人情報を集めるために使われている。

まとめ

全体として、国によってうまく行った所があればそうでないところもあるという状況です。特にうまくいっていない場合は、国民それぞれに政権を打倒した後のビジョンや覚悟がなかったことが要因な気もしています。ただ不満だけから行動することはモチロン初期には必要ですが、その後の計画も考えておかなければいけないです。

あと、イスラム教はちょっと抵抗感がありましたが、読んでいると普通の人達のようで、今の僕らのイメージは一部の過激なイスラム原理主義の人たちのことを聞かされているに過ぎないかもしれません。宗派などを気にせず付き合っていくことが出来ればいいですね。

ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実

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ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実

ビジネスの世界における不合理をつらつらと語っている本です。しょせん人の営みなので、頭いい人たちとはいえ理屈に合わないことは多いし、社会でやってく以上は理屈だけで判断はできないよってことも書かれてます。

この本を読もうと思った理由が、「社会は不合理で満ちている」事例を再確認したいためだったりするので、例によって個々の内容を箇条書きする程度にします。 読みやすいのでオススメ。

環境の大切さ

→人の意思は弱いものです。自分がどうあれ周りに流されてしまうのが宿命で、それでこそ社会的な生物です。 自分から環境を整えることが大切。

多数の無知 黙ることの雄弁さ

→現状に文句を言わない、何も表明しない時点で賛成しているとみなされる。もしなんとなくモヤモヤを抱えてたとしても、黙ってる人が集まれば、内心どう思っていようが合意形成が取れてるとみなされ否定的な発言はしにくい。

戦略には相手の出方も含まれる

→何事もそうだけど、絶対の戦略・指針はありえない。常に周囲の環境を意識することが大事で、軌道修正には長期的な視点が必要。

日本企業は雇用を守るために不合理を受け入れている。

→コレは直接本の内容ではないんだけど、日本は他国より協調性を重視する傾向にあります。 まずは国民の生活を確保するために雇用を守ろうという国なわけですよ。

サルとハシゴの話

http://www.geekpage.jp/blog/?id=2007/10/22

ゴミの分別のキャンペーンの文字をどうするのが一番効果があるのかについて、「みんなやってるから」という内容が一番効果があった。

→知らないうちに周りから影響を受けている、あの人が言うから、周りがやっているから、というのは8割方正しい方法でもある。そういう意味で、シェアトップの製品は強い。買う際の言い訳になるから。安心感を得られるから。 だけど自分で考えるくせをつけないとそれ以上になれない。

製薬会社はマーケティング、医者の接待、に莫大なお金を使っている。新聞の紙面が大きいことに今は理由はない

→無駄だとわかっていても他社がやめてないのにそれをやめたときのリスクを考えられないから。プロスペクト理論では、自分だけ小さな損よりも全体が大きな損をするほうがマシと考える人が多い。

戦闘機の例:帰還した戦闘機を見て、壊れた場所ばかり補強してしまう。本当の急所はやられた時点で帰還できないため、そもそも情報が偏っていることになる。

→データの見方が大切。本当に客観的な情報は存在しない。

大抵の経営戦略は、立てたあとに理屈付けされる。

→新しいことに数値化できるようなデータはないのだから。データに頼りすぎてはいけない。

世の中の成功者は、たいていが運の良かった人。きちんとした戦略があった云々は後付け。

→お金を稼ぐ時に、地道にやるよりも当てずっぽうに賭けたほうが当たった時にデカイ。(地道な運用で毎年10%よりも、博打で100%の方を人は成功者と呼ぶ)派手な戦略や画期的なやり方は、振れ幅が大きいだけで平均は普通と変わらない。人は、たまたまうまく行った人を褒めすぎ、失敗した人を貶しすぎるきらいがある。

時間の不経済

→一日30分を、一週間に一回3.5時間やったって同じ効果は得られない。脳みそ的の仕組み的にそうなってる。 要は、急な成長を狙って無理をするよりもコツコツやってかないといけないよっていうこと。人は長期的なプロセスよりも、短期的ですぐに結果になりそうなことに注力しがちである。

投資銀行の矛盾。

→投資銀行のアナリストは、お客さんとして企業を抱えることもあれば、アナリストレポートとして株の売り推奨、買い推奨などの評価をする。当然、評価される企業としては売り推奨なんてされたらたまったもんじゃないので、良い評価をするようにプレッシャーをかける。その結果、一般的にアナリストの評価は8割方好意的な評価をしたり、買い推奨予定などといった曖昧な言葉で濁すこともある。いいかげんだ、とかではなく、そういうものである。

取締役の人たち

→基本的に代表が指名するので、彼を優遇する人が好まれる。もし批判しようものなら回りからやいのやいの言われる。自分と価値観が合う人を評価しがちになり、似たような思考の人が集まるのは当然。報酬もお互いに援助し合い、ここまで膨れ上がってる。

賞与がストックオプションの理由

→ちょっと考えればわかります。

人は予言の自己実現に陥りがちである。

→例えば、イケると感じた商品のプロモーションに費用をかける。結果として売り上げは上がるが、その要因は費用をかけた分だけで、他の商品と大差ないことがほとんど。 同様の理屈で、教師が目をかけた生徒は伸びるものである。

よくあるビジョナリーカンパニーは因果関係が逆なことが多い

→ビジョンがいいから成功したというより、成功したからビジョンがしっかりしてる、もしくはしっかり見える。

良く自然淘汰とか弱肉強食とか言われるけど世の中そんなに合理的にできてない。業界にはどこのだれが始めたかわからない因習が多々あるもの。

イノベーションを生み出す会社が本当にいいのか?

→そういった企業は普通の会社よりも存命期間が短い。社会的に必要とされてれば残っているはずでは?

会社はなんのためか?資本主義においては、株主のためという考え方が大半。

野球の世界において、給与格差が大きいほどチームの成績が悪いことが確認されている。

→よくある成功報酬制にすることは、仕事の効率に直結しないどころか逆効果なっことが多い。

まとめ

こういった不合理を真っ向から否定できるのは相応の力を持った人だけだと思う。 ハロー効果というものもある。ホリエモンがあれだけ強気なのは、既に成功しているからに過ぎなくて、同じことをヒラが指摘しても誰も関心を示さない。

よくある因習は誰もが少なからず感じていて、ただそれは文化として根付いてしまっているので、力のない個人が変えることはできない。変えたかったらまずはそのルールで勝ち上がるしかない。

キュレーション5:論考まとめ

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今まで書いてきた内容の総まとめです。 なんでコレを書こうと思ったかも下の方に記してあります。

そもそも科学やテクノロジーも無から有ではありません。というより、アートの例でも挙げましたが、完全に無から生み出すなんて不可能です。かのジョブズも他社の製品や禅の要素を組み合わせているとよく言われます。「コピーキャット」って本も最近話題ですね。つまり、完全な革新なんてなくて、過去の要素の組み合わせの結果だということです。そういう意味で、今回のキュレーションという単語は汎用的すぎてズルい気もしますが。。。

ただ、モノが溢れてる現代にとってこれから重要になってくるのは、ハードウェアとかよりももっと精神的な充足であることは割と自明だと思っています。社会起業家やNPOが流行っているのもその影響でしょう。

ではそんな幅広い意味を持つキュレーションとは、簡単に言うと何かと何かの間を繋ぐミドルウェア的な役割です。 広告がモノと価値観を繋ぐように、アートが価値観同士を繋ぐように、ジャーナリズムが人と情報を繋ぐようにです。

そしてそのスキルを身につけるためには、広く深い知識と根本の考察が求められます。 「コレを知っておけばいい」というわけでもなく、直接関係ないことでも常にあちこちにアンテナを張り巡らすこと。 また「これはこういうもの」なんて固定観念を外し、それぞれの事象を根本から理解しないと新たな見方や組み合わせは思いつきません。 空手で言う『守破離』の破のレベルまでは達している必要があります。

というわけで、かなりざっくりですがキュレーター()になりたい僕としては、そのためにどう過ごすべきか考えるわけです。 これは常々いってることですが、まずは情報をひたすらインプットすることで、組み合わせる対象が広がります。 また、その物事の本質を理解すること。これは普段読んでる本で、哲学や脳科学なんかを好むのもそれが理由です。また、大枠の客観的な情報を得るために統計学なんかも面白いと思っています。これによって組み合わせるための指標ができてきます。 (どこぞの企業には、「5回whyと問え」とか「なぜなぜ思考」とかという文化があるそうなので、そういった環境で考えを磨くのも良いなと思っています。)

以上、ここまでキュレーションという単語に関連させてまとめてきました。 が、もう気づいてると思いますが、近年のこういったパラダイムシフトの裏には全てネットが関係しています。裏キーワードはネットやITだったりします。。

最後に、東さんのこの言葉を引用します。 『新しい社会は新しいマインドセットを必要とする。』 このIT社会において、一応デジタルネイティブ世代として、既存の価値観に囚われていない世代として何ができるか考えて続けます。

パラダイム/アンダーグラフ 地味だけどいい曲多くて好きなバンドです。「パラダイム」の意味はググってください。 <iframe width=”300” height=”250” src=”http://www.youtube.com/embed/KkMurICX_F8” frameborder=”0” allowfullscreen></iframe>

そういえば、「ハフィントン・ポスト」明日から始まりますね。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1304/23/news112.html

<参考文献> “ePubはクソ”、”ハフィントン・ポストで連載開始”〜堀江氏、メディアを語る http://blogos.com/article/61333/ 日本2.0 全ページ (追記) 文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい

キュレーション5:論考まとめ

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これまでの記事一覧

キュレーション4:報道産業 キュレーション3:アート産業(創作者) キュレーション2:コンテンツ産業(消費者) キュレーション1:広告業界

今まで書いてきた内容の総まとめです。 なんでコレを書こうと思ったかも下の方に記してあります。

そもそも科学やテクノロジーも無から有ではありません。というより、アートの例でも挙げましたが、完全に無から生み出すなんて不可能です。かのジョブズも他社の製品や禅の要素を組み合わせているとよく言われます。「コピーキャット」って本も最近話題ですね。つまり、完全な革新なんてなくて、過去の要素の組み合わせの結果だということです。そういう意味で、今回のキュレーションという単語は汎用的すぎてズルい気もしますが。。。

ただ、モノが溢れてる現代にとってこれから重要になってくるのは、ハードウェアとかよりももっと精神的な充足であることは割と自明だと思っています。社会起業家やNPOが流行っているのもその影響でしょう。

ではそんな幅広い意味を持つキュレーションとは、簡単に言うと何かと何かの間を繋ぐミドルウェア的な役割です。 広告がモノと価値観を繋ぐように、アートが価値観同士を繋ぐように、ジャーナリズムが人と情報を繋ぐようにです。

そしてそのスキルを身につけるためには、広く深い知識と根本の考察が求められます。 「コレを知っておけばいい」というわけでもなく、直接関係ないことでも常にあちこちにアンテナを張り巡らすこと。 また「これはこういうもの」なんて固定観念を外し、それぞれの事象を根本から理解しないと新たな見方や組み合わせは思いつきません。 空手で言う『守破離』の破のレベルまでは達している必要があります。

というわけで、かなりざっくりですがキュレーター()になりたい僕としては、そのためにどう過ごすべきか考えるわけです。 これは常々いってることですが、まずは情報をひたすらインプットすることで、組み合わせる対象が広がります。 また、その物事の本質を理解すること。これは普段読んでる本で、哲学や脳科学なんかを好むのもそれが理由です。また、大枠の客観的な情報を得るために統計学なんかも面白いと思っています。これによって組み合わせるための指標ができてきます。 (どこぞの企業には、「5回whyと問え」とか「なぜなぜ思考」とかという文化があるそうなので、そういった環境で考えを磨くのも良いなと思っています。)

以上、ここまでキュレーションという単語に関連させてまとめてきました。 が、もう気づいてると思いますが、近年のこういったパラダイムシフトの裏には全てネットが関係しています。裏キーワードはネットやITだったりします。。

最後に、東さんのこの言葉を引用します。

『新しい社会は新しいマインドセットを必要とする。』

このIT社会において、一応デジタルネイティブ世代として、既存の価値観に囚われていない世代として何ができるか考えて続けます。

パラダイム/アンダーグラフ 地味だけどいい曲多くて好きなバンドです。「パラダイム」の意味はググってください。 <iframe width=”300” height=”250” src=”http://www.youtube.com/embed/KkMurICX_F8” frameborder=”0” allowfullscreen></iframe>

そういえば、「ハフィントン・ポスト」明日から始まりますね。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1304/23/news112.html

<参考文献> “ePubはクソ”、”ハフィントン・ポストで連載開始”〜堀江氏、メディアを語る http://blogos.com/article/61333/ 日本2.0 全ページ (追記) 文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい